2010年6月18日金曜日

転校生 最終回

 私も教室を抜け出してきたのか、追い出されてきたのか、分からない気分です。
 運動場に出ました。北野小学校は全校生の数も少くなく、生徒に貸し出せるスポ-ツ用具は殆どありません。野球をする生徒もいません。ミットも、グローブもないのですから。ドッチボールで遊ぶボールがありません。兵隊ごっこするにも、鍔のある制帽がない。靴を履くどころか、草履、わらじ、亦は裸足です。  
 女子が四、五人で遊ぶのはお手玉位。おはじき、ビー玉はあったかな。何しろ、地域の周りには文具店、昔懐かしい駄菓子屋見たいな店一つないところですから。 

 運動場の中央では、六年男子が固まって、白墨で地面に大きな輪を書いて集まっています。私は隅に並んでる鉄棒に手を伸ばし、蹴上がりをしようと思いましたが、ぶらさがる高さの鉄棒がありません。それで、逆上がりから、前方回転、後方回転と色々小技を使い遊び半分に汗をかき始めると、いつの間にか周りに女生徒が私を囲むように、集まっているのです。私は東京の学校では鉄棒は選手でした。
 得意になったわけではないけど、ここで派手な技を見せなければ、と私の肩に届く一番高い鉄棒の前に立ち、「富士下がり」をして見せ、最後に大きく前後に体を振り前方に鉄棒から足をはずして、飛び降りるのです。見た目は派手ですが以外に簡単な技です。でも歓声をあげてくれましたね。

 そんな事を同級生の窓際の仲間が見てたのでしょう。私のところに呼び出しの誘いがきましたね。十人位が二手に分かれ陣取をしてるみたいです。この遊びに入れと云うことなんですが・・・
 陣取りは二手に分かれ、それぞれの隊長を決め、その陣地の隊長を白墨で大きく書いた輪から押しだした方が勝ち。陣地の間には小さい円形が五、六個書かれそれぞれの兵隊が陣地を守り、敵を食い止めるのです。輪から出たら戦死です。そして、最後に敵地に入り込んだ隊長同士の戦いをするわけ、。

 ゲームとしては輪の中から押し出せば終わりですが、それではお互い意味がありませんね。問題はゲームの勝負ではないからです。どちらかがお前にはかなわないと、おもわせなければ、仲間への面子が立たないと云うわけ。番長との対決です。

 私は喧嘩をしたり、人を怒鳴りつけることはしたことがありません。今でも、人生を振り返り、勿論、私から手をだしたことはありませんね。相手に怪我をさせずに、うまく凹ますことが出来るかです。秘策があるのです。 

 相手は陣地で動かず、私の方から、小さな輪を飛び進みこんでくるのを待っています。私は小柄ですが、敏捷で、腰は三枚腰と云われた程、物事の瀬戸際の勝負に強いのです。相手は私が小さい輪から陣地に飛び移る瞬間を、突き出しに来る筈。でも、それでゲームの勝負はついても私をいためつけることにはなりませんね。私もそこでゲームを終わらせたくはありません。 

 先ず、うまく中に飛び込むことにしました。陣地の周りには、小さい歩兵陣がいくつも書かれています。其の中の三か所を踏み台に加速を付け、陣地に近いところから飛び込むとみせて、離れた場所から、飛び込もう。後は入った時に、蹴飛ばされないように、素早く相手の懐に飛び込むこと。
 
 状況は上手く思ったとおり相手と組み合うことができました。ここから、私のとっておきの秘技を出すのです。柔道で言う、寄り戻しに似ているけど、一寸違います。自分では「風車」とも名づけようとも、三船十段の「空気なげ」に憧れていた頃です。どれも相手の力を利用した変則技です。いままで三回ほど使いましたよ。幾分、合気道に似ています。門外不出の技と言われていましたね。私は自分で遊び心で考えた遊び技ですが、言葉で説明は難しいですね。

 相手と組んだら、右に投げると見せかけ左に寄り戻しをかけながら、相手の腰を前に引き落とし気味に相手の身体を浮かせるのです。右へ回りこみ一瞬腰が浮いた瞬間を狙い、風車のようにぐるぐる回すのです。相手の足が宙に浮きながら、風車のようにまわすことができるのです。相手の体を浮かせるように、自分の身体を後ろに後退させながら、右へ右へと、自分も回り込むのです。遠心力で相手の足が地面から離れ、もう身体が水平にに宙に浮き、なすすべもなくなり、そっと、降ろしてやっても暫くは立ちあがれませんよ。立ちあがっつた時は、戦意喪失で、すごすごと引き下がるだけです。

 これで、私は相手を傷つけず、クラス組での力関係のトップに立ったことになります。よく父親が子供を抱き上げて、そら、タカイ高い!と、遊んでる光景は良くみますね。あれは、体力差が違いすぎるから出来るので、私は相手がアスリート系の人は別として、普通の人となら遊びとしては、ひけを取ることはありませんでした。
 長い間こんな詰まらないお話はここで終わらせていただきます。

2010年6月10日木曜日

転校生 第8回

 教室での喧騒は相変わらず、窓際の男子生徒です。
先生が入ってきて、授業が始まり、先生が黒板に向かい、チョークで何か書き始めると、もう勝手なふざけ合い、物を投げる、椅子をガタつかせる、隣の女生徒をからかい始める、女生徒の甲高い笑い声。そろそろ先生の忍耐が切れるころですね。
 先生が教壇の端に立ち、怒鳴ります。
「おい、お前達、そんなにふざけたいなら、教室を出て行きなさい。」
 一瞬彼らも静まりますが、それこそ、待ってましたとばかりゾロゾロ出て行きます。外は初夏の明るい空。女生徒も何となくついでに出て行くと、反対側の生徒も二人、三人と続きます。 
 そして、残るのは級長、女子副級長それに私。
 先生も、何時ものことで驚きもしません。
「お前達も、この時間、外で遊んで来い。」

 もうすぐ夏休みがやってきます。東京に帰れる。うれしい!でも、この頃、私は土曜日の午後は家へ帰ることにしていました。映画を見に行くんだ。デパートのお子様ランチ。母親と一緒に街を歩く楽しみ。
 そして、日曜日の夕方、新宿から八王寺まで中央線に乗るのですが、電車が街の中を走っているところからだんだん何もない夕焼け空を眺めてぽつんと窓の外以外は見回すこの出来ない淋しさ、唯、情けないおもいでしたよ。

 そんな時に、何処で読んだ一茶の言葉か、今でも呟くことが有りますが、こんな言葉です。
「唯 嘆け、汝が 性の拙さを」
こんな言葉を理解してた自分が居た不思議をおまじないみたいに大事にしています。

 八王子から柚木村行きの最終便がでます。それに乗る時間待ちを街の古本屋で何時も時間を調整します。当時私は時計など持たされていなかった筈、でもバスの時刻どおり動くことはできていましたね。
 本屋で買うのは、江戸川乱歩の小説、それから捕り物帳などです。もうその時間は街も薄暗くバス停の車庫の周りだけ明るい電光に照らされている時間です。乗車する人も少なく、お互い見知らぬ人達。多分終点迄乗っているのは私だけ。時間は四、五十分位掛かる筈。多分一人だけで降りて帰る筈。桑畑の中を突き抜ければ
早いのですが、夜はそんなまねができませんよね。農道を大きくりながら少し坂の小道を一目散に家にとびこむのです。

 こんな話は閑話休題です。空になった教室の続きを今度書きます。

つづく

2010年5月26日水曜日

転校生 第7回

 峠のソマ道(杣道)に入ると、日差しが木漏れ日となって、道を長く照らしてくれています。
 はじめのうちは、もの珍しく眺めながら歩くことが出来たのですが、でも何故か背後が怖いのです。鳥も鳴いてはくれません。 先え 先えと足早に歩きます。怖いのです。木の葉のざわめき、あの音。ザワ、ザワと私を追いかける音。私はもうつま先立ちで、逃げ腰に急ぎました。 こんな姿勢でと思うでしょうが、本能的にこの構えが、何時でも身体をよけることが出来るのです。
 
 風がゆするあの音、ザワ、ザワ。木々の悲鳴のように背中に張りついてきます。
 この道には私が悲鳴をあげます。どこかに、崖の斜面を降りられるならと、見回しますが、崖はもう飛び降りるほかは無理。 ザワ、ザワという音はもう背中ではなく頭にかぶさるように追いかけてきます。
 
 私は何処か道が切れるような場所を一心にさがしましたよ。有りましたね、獣道と云ううのかこれが杣道なのか、斜に、ジグザグな斜面、これを降りて柚木村に唯り付くかは、もうどうでもいいのです。 
 中腹までおりると、もう視界が見渡すことができました。 切り開いた斜面に何と畑があるではありませんか。それも桑畑ではなく、野菜畑。男の人が仕事をしています。
 心境としては話が通じるのか、なにか私が異邦人になったみたい、東京から一人で来て、戻る先もわからず、他所の人を窺っている情けない自分。 たかが小一時間の散歩道です。でも子供心に感じた次元の違う場所では時間は関係ありませんでした。
 降りてきた場所は他所の村です。 柚木村は東の方角へ、太陽が昇るほうに歩こう。

つづく

2010年5月25日火曜日

マネとモダンパリ


 マネ回顧展、行ってきました。やはり ベルト モリズの絵がなんど見ても飽きません。黒の使い方が勉強になりましたよ。
 昔こんな句を作りましたね。

 喪の花の リラ胸に抱く マネの絵  ノブ
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 「今年4月に東京・丸の内にオープンした三菱一号館美術館の開館記念展となる本展は、マネの芸術の全貌を、当時のパリが都市として変貌していく様子と結びつけながら、代表的作品により展覧しようとするもので、マネの油彩、素描、版画80点余が出品されます。また、同時代の作家たちの油彩、建築素描、彫刻、写真など約80点もあわせて展示し、マネが生きたパリの芸術的な背景も紹介します。日本でマネの作品をまとまった形で見ることができる貴重な機会です。」

期間: 2010年4月6日~7月25日
会場:三菱一号館美術館
(東京都千代田区丸の内2-6-2)
問合せ先:03-5777-8600
休館:月曜日
http://mimt.jp/manet/index.html

2010年5月22日土曜日

画集「KAYA 」初版

 画集「KAYA 」初版の印刷が数週間であがってくるそうです。まずは試しに1冊。全部で70ページの初の画集になります。そのうちの数ページは以下からご覧いただけますので是非どうぞ。

転校生 第6回

 私が喋り出そうとすると・・・窓際の背の高い子が立ち上がります。
「先生、その生徒は、東京から通うのですか?」
先生「いいや、皆と同じこの南多摩郡の土地で、生活し、同じ空気を吸うんだよ。皆、よろしく頼むよ。」
私は、すばやく彼らに頭を下げ「よろしくお願いします。」とだけ言い、自分の席と教えられた最後列の机につきました。その日はなんとなくぽつんと、過ごすだけで終わったのでした。

 数日が過ぎ、私はいつものようにバス停で峠を越えるバスの時間を踏み切り番のおじさんと言葉交わしながらあと一時間をどう過ごそうかぼんやりしていました。
 そこへ私たちの組のあまり目立たない男の子、名前は分かりません、彼が云うのです。
「俺、峠に家があるんだ、峠まで歩こうよ。」誘ってくれたのです。お互い、名前など呼ぶほどの仲ではありません。お前、俺の世界です。でもK君と呼ばれていたようにも思いましたね。 
 私は彼に聞きました。
「何時もなにしているの?」
「野鳥を山に取りに行くんだ。今度の土曜日つれてくよ。」

 峠の中腹まで来ましたがまだこの先が急坂できつい登り坂になります。二人で崖ぎわの道を避け反対側の道路に座り込みました。 
 彼が喋り出しました。
「この峠を俺たちは猿丸峠と云うんだ。この天辺には、色んな鳥が林の上を飛びぬける空の道があるんだぞ。そこを通り抜ける鳥は頭を突っ込んで逃げられなくなるんだ。でも許可を持たない人は、そんなことしたら罰せられるだ。カスミ網を使わなくても、笊と紐さえあれば、ウズラでも野鳥でも採れるんだ。」

 そんな話で時間を潰してもバスは来ません。私は腕時計など持っていなかった筈。急坂を一気にのぼれば峠です。
 彼は峠の水が誰でも飲める所に連れてきて
「ここで水を飲み、前方の山の尾根つたいに降りて行けば、柚木村だよ。」と行ってしまいました。
 峠の道を降りるより近いのは分りますが、一人で飛び込んで行くのには勇気が入ります。でも、もう段取りはできてしまったのです。

つづく

2010年5月21日金曜日

観音崎より城ヶ島 第3回

 ここから車は葉山へ。日はもう西へ傾き加減4時近くになります。
 葉山御用邸近く、Iさんがこの辺でケーキ屋さんへ入ろう、と突然車を止めさせました。少し行き過ぎたけど、崖沿いに、成程、瀟洒な店構えがあります。車を坂上の一寸とした広場につっこみ、房総半島をも見渡せる海を眺めながら、その店へと出かけました。
入口のテラスからカウンターの受付迄待ってる人です。店の女性が予約の名前と人数をメモしていきます。でも、店の中で食べる人は割と待たずに入れています。並んでいる人達はお土産を買いに来ている人達なのです。私達三人は簡単に中に入り、注文することが出来ました。
 なんで、ここは有名なんだろう、とメニューを見ますと「カフエ レストラン マーロウ」店の略歴は知らないけれど、早川ミステリーのファンなら、この咥え煙草の男性フィリップマーロウのことだとわかる筈。
 私も私立探偵になった気分で、店内を眺めまわしました。インテリアも素晴らしく、調度も椅子テーブルも一級品。各席も幾つかの部屋で区切られ、ゆったりとした気分でカフェとケーキのひと時で感慨に耽ることができます。中折れ帽のひさしの陰からキラリと光るマーロウの目。 
 そこで店員の女性が入ってきて云うのです。
「当店は五時までの営業でございます。お土産の品も残り少なく、御注文の品がありましたら承りますが」
 
それで、私達も土産のプリン、ケーキなど買わされ、帰途に就くのでした。
 Iさん、Tさん、一日お世話様でした。お陰様で楽しい旅でした。またどこか連れて行ってください。よろしく。
 
 ※プリンの有名なマーロウ
 葉山店 三浦郡葉山町掘内2038-10
 046-875-0412
 http://www.marlowe.co.jp 
 お試しあれ。