2011年9月17日土曜日

ワシントン ナショナルギャラリーへ行こうよ! その1

 1800年代から1900年代にかかる1世期のフランス絵画の印象派と呼ばれた時代を座等したパリ! 私が1900年代の生まれだから、後期印象派から現代絵画に移行し始めたパリ。フランスに行きたしと 思えどフランスはあまりにも遠し。現代みたいに情報文化が世界どこからでも入ってくる時代ではありません。

 当時の巨匠と言われた画家達もほとんど亡くなりました。戦後のアプレゲール アバンギャルドなどの喧騒も何時か収まり、マチス ピカソ ブラックなどが印刷画を通して見れるようになった時の驚き。世の中にはこんな素敵な色彩の世界があるんだ!と目を開かせられました。

 私が未だ25才ごろ。昭和25年の日本にはまだ身に付ける服でも殆ど黒か褐色でした。アテネ フランセの男性英国人教師が言いましたよ。「貴方達は何故、何時も同じ黒、褐色の服をきてるのだ。」と。 
 当時は勿論、誰もが貧乏でした。でも色ものを、着ることなんかが戦時中あるわけがありません。女性はナイロンのストッキング 一枚で身を任せたし、上野の森にいけば、マッチ一本 百円で少女のスカートの中を見せたと噂が広まった時代。私は其のころから、絵画の世界に手をそめたのでした。

 彼は多分、この店の常連。私の連れのことも良く知っている男。私がどこの旅館で働いているかは知らないはずはありません。彼の手は顔面だけを狙って打ってきます。私は間合いを取らせないように前へ、前へ身体を詰め、頭を右左によけながら進むのですが、彼は的確に当ててきます。

「やめろよ。話を聞こう。」

 彼は私を打ち倒そうという気はないのですが、なぶりものにし、恥かしめてやることが目的のようです。このままでは駄目だ。相手の懐に飛び込み、組み合いたい。身体は小さくても組めばかなり自信があります。ドタバタ騒げば店の誰かが止めに入る筈。それで駄目なら、
私の必殺技、指二本 中指と人差し指をつかいます。この指をダランと下げたまま、相手の懐に縋るように、気づかれず、相手の鼻筋に沿うように、其のまま目に突っ込んでやるのです。まあ、目は潰れなくても一時的な失明はする筈。でも、先に彼の手が私の鼻をかすめました、結果は鼻血を出してしまいました。詰まらない処で幕切れでした。

 聞けば、彼は大学のボクシン部で、国対にも出ていた人物でした。次の朝、私は三日の休暇を取っていましたので、誰にも気づかれずに午前十時の上り急行に乗りで東京にきていましたね。目の下に張れが有るため、眼鏡店でサングラスを買いました。 

 こんな話は五十年も前のこと。当時 サングラスなど かけて 街をあるいている人は、 ヤクザ か 映画人ぐらいです。 今回も 美術館へ いつもの彼女たちとでかけるのに、息子がくれたアメリカ製 のサングラスをかけ 、三人で新国立美術館、ワシントン ナショナル ギャラリーに連れて行ってもらうのですよ。道案内役はAさん ですので、こんなわけの分らない話でも 二人には 通じるのです。