2010年1月1日金曜日

貴方の孤独よ 父よ 第1回


「チャタレー夫人の恋人」を書いたD H ローレンスの言葉が、若い頃の記憶に残っています。男親はただ居るのだと、いうことだけで、子共と一緒に居なくても大丈夫なものだと。
細かくは覚えてはおりませんが、人生の手引きに為る暗喩を重ねた神秘的な言葉が、若かった頃の私を惹きつけましたね。  

 私が父の姿と初めて出会った時は小学二年の頃、横浜埠頭に家族一緒に迎えに行きました。私はその時八歳、一番上の兄が十年上です。暁星中学の詰襟を着ていました。私以外(3人の兄)はアメリカ、シアトル生まれです。私は母のお腹の中で海を渡り、東京で産まれました。
    
 つまり、母と父との再会は私達の歳を足すと、八年ぶりということになります。母がもし二十歳の時、海を渡り、数年後兄を産んだとすると・・・此の時の母の歳は三十八前後。父の歳は知りません。

 船が埠頭に着き、乗客が皆でデッキに姿を現します。波止場に輪を囲み出迎えの歓声を上げています。下船が始まったのです。「あそこだ!」と兄が手を振ります。小柄な人です。当時日本では見かけないパイプを咥え、中折れ帽子にロイド眼鏡。

 どういう訳か、此処からの記憶がまるでないのです。家族で出向かいに行ったと思っていたのに次男、三男の影がまるで消えています。もっと不可解なのはその日、父が何処に泊ったのか、母と父の姿が並んだ映像も何処かに消えてしまって居るのです。
    
 ただ一つ記憶あるのはあの匂いです。パイプの匂い、葉巻の煙です。これは一人で家に居る時、一番上の兄の書斎を開けた時、応接間のソファーに寝ころがった時、ふっと嗅ぐのです。
    
 それっきり、父とは一度も顔を合はせたこともありません。母をママと呼んでも、父をパパと呼んだことはありませんでした。

 ママがアメリカに居た頃、常時眠りに着く時枕の下に婦人用コルトを偲ばせて眠りに付いたと。これは母の日誌のメモなのか何気なくの拍子に口を付いて出た言葉なのかもう七十年前の夢物語り。

 つづく

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