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2010年11月18日木曜日

猫のフー君


 フー君。お前の絵を描こうとコンテで見つめると、君はいつもポーズをとって動かないでいてくれたよね。

 でも、あの時は驚かされました。十月の終りごろだったよね。 三階の剣道具が置かれている隅で、籠に布団をいれてもらって 力無く休んでいたとき、パパが紙を広げて、何か描こうとしていたら、急に起き上がり私の前に来て、「描いてよ」とポーズを取ろうとして、上手く座ることができず。すぐヨタヨタして、ポーズをとれず、尻尾で重心を取ろうと尻尾を身体のまえに巻込んでよろけて、パパは上手く書けなくて。

 この絵は没にしようとしたら、ママが額にいれてくれたので、今、パパの画集に入っていますよ。元気だった頃のフー君。弱っていても、私の不器用な絵にフーが華を添えてくれましたよ。

 パパはまだ元気でいられるけどさ、先にいった人、君はそれなりに 次元を変えただけ?残された人はいっつも現在を生きていかなければ、それは何時も現在が人生だから。
 Mを泣かせないでね。お休み、フー。

2010年11月17日水曜日

一枚の銀貨


 昨日、月曜日。日本橋公会堂のドガの時代背景、ドガを含む印象派グループについての公演をを拝聴しにでかけました。開場は6時半。我が家、黒船屋から歩けば30分そこそこ。

 ところが、其の日は夕方から晩秋の冷たい雨。そのうえ、其の日は店が7時から女性客の予約が入っているのです。そこへ、息子が私を送ってくれ、私のいない時間を自分が代わりを務めるから心配するなと云ってくれました。彼はホテル勤務の身。水商売、客商売のことなら私が何も教えることもないプロです。むしろ私は何時までも素人っぽいことがお客に愛されている84才のバーテンダーです。女性客なら、若い彼がいるほうが気にいる筈。それに、私が戻るまでは皆さまは待っていてくれる筈。勝手な話です。

 そして、息子を二人で店を出ようと傘を取りだすと、
「傘はいらなよ、もう帰るまでにはもうやんでるから。」
と息子。彼は物事のけじめにハッキリしたオトコ。私は反対にだいたい全てのことに無頓着です。
 まだ小雨の公園を抜け地下鉄で切符を買ったら、
「じゃあね、迷子にならないで。」
 私は息子が、てっきり人形町の会館まで連れていってくれるものと思っていたので、
「なんだ、ここまでなら俺、一人で来られるのに。」

 詰まり、話はこうです。彼は7時、今、人形町の一つ先の剣道具屋から急いで帰って来たところ。何故なら、今日の予約のお客さんに合わせて、私の穴埋めに来たのだから店に戻るよ、というわけです。まあ、雨でなければ、歩いて行くつもりだったのですから地下鉄の改札まで御見送り御苦労さま、と一人で人形町の改札を出て、出口の階段が二つあり、左の階段を上がりました。 

 外は未だ雨。昼まと違い町はうすら闇、パーカーのフードをしっかり被り直し目標の水天宮の交番の灯りがどちら側にあるか、雨をすかして見るのですが、、、、わかりません。
 雨の日の商店街。観光されてる町はシャッターを早く降ろすものです。フードから降り掛かる雨も憂鬱です。昔、子供たちに絵本を読んでやっていて、読んでいる親がが泣きたくなる、御使いにだされた少年のお話。「一枚の銀貨」を思い出します。


 母親に云われた事を繰り返し呟くのです。
「バター半斤、パン一斤、それからチーズを三個 忘れずに。」
少年は一生懸命に言葉を歩調に合わせて小川を飛び越します。
「ヨイショ」
小川の向こうには明るい人恋しい、肉やの灯り。お店に少年は飛び込みました。お店のおじさんと顔を見合わせたのですが、さっきまで口で唱えていた言葉がでてきません。ただ、ヨイショ、ヨイショです。少年は手をグッと握りしめました、そして顔色が変わります、しっかり握りしめていたお金がないのですから。
 未だ低学年の少年、他人の前では泣けません。少年は今来た道を銀貨を探し、戻ります。ママの顔が見たい、怒られることなど考えていないのです。ママは迎えにでていました。ママは少年の顔を見ただけで、何が起きたか分かるものです。
「ママはお前が肉やさんに行って、戻ってきただけで、うれしいの。お金を落としたことは心配しないで。」
少年はそこで、ママの膝にしがみ付き、泣くのでした。

 この童話は何度子供たちに読んでも、自分の声が震えたものでした。

 ところで、私は出口から反対の歩道に出てしまった結果、目線が合わず交番を見つけることが出来なかったのです。

2010年2月9日火曜日

子供達と夏休み


 「子供達」と云える言葉は、そう、小学生の頃のことしか、考えられませんね。
 夏休みの学校の宿題。絵の宿題はパパ、工作の宿題はママと、子供はもう勝手に自分達で決めている頃です。
其の頃は、夏の太陽のように、息子も娘も眩しく、私の夏休みでもあり、思い出す私の第二の青春でもありました。

晴海埠頭へいつもの二台のオンボロ自転車で、私たち三人は颯爽とでかけるのです。夏休みの街は、もう人の気配がありません。 車も、東京湾方面に行くようなトラックさえも見当たらないのです。素敵な、青天井の遊び場。鼻歌の一つも口から飛び出します。
 すると、息子が勝手に、叫ぶように歌うのです。それも、当時大ブレークしたあの歌「ルビーの指輪」寺尾 聡の真似をして、ハミングしながら、ついには自転車二台を寄せ合って叫ぶ始末。
 
 埠頭では、丁度、外国船が停泊していて荷あげ人足が、艀「ハシケ」を忙しそうに上り降りしてる港風景です。息子は画用紙を広げ、無心に手を動かし、しばらくして「これでどう?」と。岸壁と船、 働いてる人らしい人物。
 
 私も大満足でベンチに足を伸ばし、西日に傾く太陽を、この紅の空が、何時までも過ぎ去らないようにと、眺めながら帰途につきました。

 写真はあの頃息子が夏休みに書いた絵です。数十年経ってこれらの絵を見ると、子供の絵は素晴らしいと思わされます。

 え?どうして夏休みの話?それは息子の剣道のお弟子さんが常夏のグアムから帰国して我が家に息子と立ち寄り、昔話に花が咲いたからでした。