
毎月末近くに私たち夫婦は某所にある蛇塚にお参りにでかけます。彼女は、足の無い、長い生き物が大の苦手。勿論「蛇」と聞いただけでそういう場所には決して足を向けない人です。うなぎ、どぜうも駄目。
でも、この蛇塚に足を運ぶようになったのは、夜中に夢でうなされ、2回も飛び起きたことが有ったのです。朝になり、その夢の話を聞きました。それは白蛇に体を巻きつかれたという夢、それも二回も同じ夢だったと言いました。私は「それ、縁起の良い夢で心配するこはないけど、一度某所に八大竜王を祀つた社の近くの岩に白蛇がとぐろを巻いた石塚があるから、一度行ってみよう」と誘ったからなのです。何故か、あれほど蛇嫌いの彼女がその小さな祠には躊躇うことなくお参りすることが出来ました。
功徳の話は色々私事に亘ります。高尾稲荷神社はその蛇塚へ行く途中にあります。二代目高尾の碑です。江戸三浦屋抱えの遊女。高尾は初代から前後11人あり、それに纏わる話は、それぞれ陰惨なもので、長唄、清本、また戯作者の演題にもなりました。2代目高尾は容姿端麗、和歌、書を巧みにしたと記されています。私も秘かにその御利益に預かろうと必ず立ち寄る場所なのですよ。その代表句がその神社には書かれています。
「君はいま 駒形あたり 時鳥」
これは高尾の想い人、茂平という男を偲んだ句だとは解りますが、この季語「時鳥」が理解できません。近年、やっと私なりに解った解釈は、この句が古今和歌集 夏-3に乗っている時鳥の本歌取りと納得しました。
「時鳥 鳴くや五月のあやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな」
この「あやめも知らぬ恋」をひきだすためにこの「時鳥」を季語にしたわけね、これがわたしの解釈。あとは識者の見解を待ちます。高尾を懸想した客は指折り数えるほどいましたが、その中に、仙台藩江戸家老がおり、高尾は彼の執拗な落籍を拒み続けたために、彼は屋形船に誘い、屋根の桁に吊るしあげ、首を落とし惨殺しました。首が墨田川支流の人形町に近い旧新堀川、多分今の湊川あたりで拾い上げられ、そこの神社に祀ったのだそうです。入り口にコンクリートにお柱が有り、天辺に歪んだ首のような塊がのせてあります。
ー私の高尾への追悼句ー
「花魁や おかえりそばへ 高尾の碑」
ノブ
(注)2代目高尾
江戸前・中期の遊女。高雄とも書く。江戸吉原京町1丁目の妓楼三浦屋四郎左衛門抱えで、この名を名乗った遊女は7人(庄司勝富『洞房語園』、原武太夫『高尾考』など)または11人(山東京伝『近世奇跡考』、山東京山『高尾考』など)あったといい、いずれも吉原を代表する名妓として知られ、京都の吉野太夫と並称された。三浦屋ではその代数を数えなかったといい、そのため伝によって代数や通称にも異同が大きい。
仙台(万治)高尾。2代といわれる。歴代高尾中でもっとも知られる。仙台藩主伊達綱宗の意に従わず、隅田川の三又で惨殺されたという。伊達騒動に関係づけられた巷説が生まれ、「伽羅先代萩」「伊達競阿国戯場」などの浄瑠璃や歌舞伎に仕組まれたほか、非業の死を遂げた高尾の亡霊がざんげする趣向は、舞踊劇「高尾物」という系列を生んだ。
The 黒船屋のホームページ面白く読ませていただいている者です。一度足を運んで見たいのですが、電話番号、住所など教えていただけないでしょうか?よろしくお願いいたします。
返信削除すいません、メールアドレスを、書くのを忘れました。
返信削除shuonanikkyuji@yahoo.co.jpbです。
アラフォー女性で、お友達と、いつかここに行きたいねと、話しています。
jpのあとのbは間違いです。何度もごめんなさい!
返信削除こんにちは。
返信削除ブログを読んでいただいて非常に喜んでおります。
頂いたアドレスにメールを送りましたが、届かずに戻ってきてしまいました。アドレスを再度教えてていただけましたら再度送ります。
そうでしたか、すいませんでした。
返信削除では、kiku-haya@par.odn.ne.jp のアドレスのほうに、
よろしくお願いいたします。
返信ありがとうございました!
バルバラの詩、面白かったです。
ご連絡、ありがとうございます!
返信削除今年は、25日までには、行けそうもないので、
来年、お電話させていただきます。
本当にありがとうございました。
良いクリスマスとお正月になりますように、、、。
メールが届いて良かったです。
返信削除良いお年をお迎えください。
私は寅年です。
5日からぼちぼち仕事をしようと思っています。