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2012年3月7日水曜日

フランス語教室

私の通い始めたフランス語教室は、

 早稲田大学ハ町堀校。
 定員20名。
 フランス語学習経験者なら参加可。
 初心者向けの教科書使用。

 と有り、気楽に籍を置きました。毎週月曜日、昼1時半から3時迄。
 でも、この2時間近い間、トイレの近い老人は悩むのです。でも、これは家内の助言で解決しました。
 この他にもう一つ困ったことがあるのです。それは、私の机の位置を黒板に向かって左側に決めた事です。エリアナ先生は私の年を知ってからは、よく私に気を使ってくれます。
 私の前に座っているだいぶ親しくなった相棒「コパン」は、コーヒー屋で若干焼きもち気味?にこんなことを言うのですよ。

 「エリアナ先生は大抵、何時も堀江さんの顔の方をみて話してるよ。」
 「それはね、皆さんノートをとるから下ばかり見てるけど僕はノートを取らない主義だからさ。」

 先生は右側の人から順に教科書の質問を答えさせていくのですが、私にはことに女性の発音しているフランス語が聞き取れないのです。右側の耳が殆ど聴力がないのです。左だけでも日常生活に困らない程度です。そこで、何時も相棒の彼に聞きます。

 「今、何行目?」

 先生も私の顔を見て、「貴方の番ですよ。」と目で呼びかけます。でも、何行目か私は分からず違う行の答えを言いかけると、すぐ、先生は私の席迄降りて来てくれます。そしてペンの先で行をおさえ、目を見合わせます。私が答え終わると、 「ビヤン」と手を挙げながら、黒板に解答をかきはじめるのです。86歳の老人だもん!気にしてくれているのだと思います。  
 そんな先生に1月の最初の授業の時、私はお歳暮のつもりで青柳のケーキを箱に入れ教室に持ち込みました。さて、どう渡すか、、、それが問題。 

 「ボンジュウール サヴア ヴィアン !」
 ドアーを開け、部屋に肩が入ると同時に声が掛かります。生徒が顔を上げ、慌てて叫びます。
 「ウイ サヴァ ヴィアン マダム!ボンジュウール」

 生徒は、それぞれ、それとなく今日の先生の機嫌がいいぞ。または今日は文法でしぼられぞなどと思っているのです。
 教壇に上がった先生はカバンから何やら取り出しました。何やらのプリントの束。それを机の間をぬうように、一人ひとりに渡して歩いてきます。私は机の端に目立つように青柳の包装紙を置き、少し身体を開き待ち構えます。先生はプリントを渡しながら、その紙包みを手にとっています。目が合います。「メルシィー」言葉は要らないのです。こちらも何も言いません。目と指先を開いただけ。

 そして先週は新学期前の最後の授業です。今回の贈り物は千挽屋と決めていました。そして私の詩人としてのプライドはその贈り物にフランス語で詩の一行を書き添える事です。これはフランス語としての誤りはあったとしても、この数行の詩は私のフランス文化に対する挑戦なのです。

  C' est que

  personnes agees

  santiment !
 
  C 'est pour Rien

NOBU

2012年2月23日木曜日

黒船屋の解体工事 その2


 私達夫婦が店をもったのは、下町、鉄砲州は隅田川を歩いて10分位の所謂、下町路地裏、3軒長屋にはさまった殆ど人通りのない、夜は明かりの付かない、老人が住む暗い町内でした。

 解体工事は進み、看板は取り外され、「The 黒船屋一代」のTheもいらなくなりました。常連の皆様がご覧になったら、なんと、ナントでしょう。

 なんとといえば、「ナント」の詩、以前ブログで紹介しましたよね。
 今、それを読み返し、その町のグラジュウ―ル 街25番地は私達の当時 隅田川 リーバー サイド バンテアン21と呼ばれた 開発時代を偲ばせます。

 ナントに雨が降る
 忘れはしない
 ナントの空は 心を滅入らせる
 私は 往年の若かりし時代
 よく 溜め息混りに口を付いて出る

 こんな 言葉を 思い出すのですが!
 「嗚呼 なんと ね!」

 話は変わって今、私はフランス語教室に毎週一回通っています。
 まだ半年位になりますが、若い人に交じり、勿論、私が最高齢者86才の初心者。耳もよく聞き取れません(笑)男生徒は3人、殆ど女性が占めます。それでも教室の帰りに他の生徒とお茶を飲みに行く仲になりましたよ。
 勉強は人知れず苦労の連続。娘からもらった文法の本を片手に宿題と格闘です。
 
 そして、先日、教室でフランスへの旅行の話になりました。それぞれ皆さん有名な避暑地の方を口にします。
 そして私の番です。思いつかないまま、つい口について出た土地名が「ナント」でした。ブランス語教師は女性で、このシャンソンをご存じで、直ぐ、「バルバラの歌っている曲ですね。」と口添えしてくれましたよ。 

 「マダム、どうか グランジュウル、街25番地にお越しになって下さいませんか!
 彼は もう短い命! 貴女に 一目とそれが希みなのです!」

 これが私にとりついた「ナント」の地名です。

2012年1月13日金曜日

黒船屋の解体工事














 いよいよそれぞれの想いの染み込んだお店の解体工事が始まりました。長い間のようで短くもあった35年間でした。これからの年金生活はつつましく、ひっそりとした日々となります。   ママ
                                           
 解体工事が始まり、1階はほとんど解体され剥き出しになり、今は電気、水道の整備中です。外に出るにも、階段から靴を履かなければ抜けられません。埃と木屑の山を通り抜けるからです。東京も寒くなり、雪が降るとか。寒いのは苦手だけど、風邪をひかずに元気にフランス語の学校、ヨガと行っています。

 解体中の写真を拡大してみるとなかなか素敵。カンウターを少し奥へ引っ込めさせますから、店は少しゆったりするとおもいます。
 入口に和風の引き戸が、懐かしい日本を蘇らせるでしょう。  

  大和は 国のまほろば  

    たたなずく 大和し  うるわし


 私が軍に召集された時、障子に陰を落とす松の影を見ながら、

 「誰のために 戦争に行くのではない。
 この、まほろばの国を護るため。
 天皇の為ではない。」

 と固く決意したことを思い出しました。
  
 「ザ黒船屋 一代」 「ザ」がなければ、野良猫でも黒猫でも構わない思い出を作った店でした。
 みなさん、ありがとう。
                                       マスター

2011年12月3日土曜日

中央区 謎解き宝探しイベント その1


 この謎解き宝探しイベントに参加するきっかけは国外にいる娘からのメールで、86才の私の重い腰を立ち上がらせたのでした。

 なんでも中央区で宝探しをするイベントがやっているそうで、早速、中央区役所に出かけ、その謎の古地図とパンフレットを手にしました。賞金&賞品総額500万円!!
 この謎解きは1stステージと2ndステージの二つがあり、最初のステージを通過しなければ、2ndステージの地図を手に入れることが出来ないのです。

 家内の分と2部持ち帰り、家で見てみると、宝の地図には6箇所の宝のありかが記載されています。3つ以上の宝に記載されたキーワードを報告し、正解ならば、2ndステージ用のの宝の地図がもらえますが、6つ正解しないことには賞金の抽選には入りません。
 コンサートを控えた忙しい家内を巻き込み、私達、家内と二人のコンビは締め切り数日前に迫ったこの宝探しに出かけることになりました。

 歩いて宝を探しに行くのは私。家で考え、行き先を指示するのは家内。アメリリカの娘はインターネットでの謎解きと私の携帯でのナビです。娘の指示は真に正確で、私が迷いどんなに途方に暮れても、まるでビデオ
で見てるように、場所、物を言い当てるのですね。私はその場所に行き、宝箱のキーワードを捜せばよい話。
 でも 私のグチを云えば、東京は今、いたるところ工事で行きどまり。ナビを聞く携帯を持つ手も痺れ、そのうち、携帯は電池切れ。ジ エンドです。 

 私達は中央区の下町の住人なので、隅田川沿いのヒントの隠し何処はすぐひらめくのです。まず出かけたところは佃。

 財宝 五「人と田が一体となりし地で力自慢の漁師たちを探すがよい。」

 地図を持った人が歩いていますが一人で探しているのは私ぐらいです。人の波を追い、みんなが左に曲がれば左へと歩きますが、娘からの電話でどうも方向が違うよう。佃の波除神社はこんなところのあったのですね。宝探しの人は誰もいず、見つけました宝箱!書かれたキーワードは「オオイナル」です。
 宝箱は持ち出されないように紐で結ばれていました。

 波除神社には「さし石」と呼ばれる大きな石があり、それを漁師達が力自慢をして持ち上げたのでした。

2011年11月11日金曜日

秋薔薇


 秋薔薇 拡げて 魅せる 裸身 朽ち

 ある日が好きだ

 過去 未来を 時 と言う空間にある ある日

 借命の暇にも 咲いたバラの花

 それが 確実な 現在 だ

               ノブ

2011年10月18日火曜日

ワシントン ナショナルギャラリーへ行こうよ! その3


 さて そんな事を云ってる暇はありません。多くの人々の立ち止まってる柵の前、ゴッホの自画像です。それもほかの画家と同じように無造作に掛けられておりました。私も傍に寄り、食い入るようにみました。真贋 のことなど云々するつもりなど少しもありません。ゴッホだと思って見入ってるのです。 

 私も厚塗りの油絵をかきます。金がかかります。パレットに生の絵具を絞り出し筆先に乗せ画面に打ち込んでいきます。鼻の頭も唇も点描で押しきっています。でも、私が自分で気になっているある部分?そこだけが点で押しきれていないのです。

 其処は、上部の枠と自画像の頭部のせまいある一点を打ちこむことが出来ないのだったのに違いないと感じ取りました。

 何故?それは頭部の頂点ともいえる有る一点が決められない問題が有ったからだと思います。「セザンヌ夫人」の頭部の絵を知ってる方は「ああ!これはまるで、ピカソの立体画と同じではないか。」と唸った筈です。 多分ゴッホもこのことに悩んだ末に其の狭い一画を、其の頭部と枠の或る部分を点描に抑えず、平塗りの平面にして完了させて、筆を擱いてしまった。と私は感じました。 

 さて、それからまた移動することを余儀なくさせられます。多士済々の絵。よくこれだけの作品を集められたのは、アメリカ大国の財力が物を云っているのでしょうが、でも日本のバブルの絶頂の頃も、或る関西の製紙会社の社長が当時、金に糸目を付けず西欧の絵画を買いあさった話、バブル期が終わり絵の処分を考え、鑑定の結果不幸にも殆ど贋作と言われ、灰にしたとか?よくはしりません。


「赤いチョッキの少年」やっと、おお気に入りのこの絵の前に立つことができました。 この少年をモデルにした同じ構図の絵は4点あるそうです。きくところによると、セザンヌの作品の傑作は殆ど当時大国ロシアに買い込まれたとも聞きます。

 マネのコーナーで私にとっては懐かしいリトグラフを見つけました。喪服を着た女「ベルト モリツ」 リトなので、日本でも複製で三種類はみております。でも、このリトでは喪服と云うイメージが湧きませんね。マネのお知り合いの女の子。当時こんな句を作りましたよ。


「喪の花の ライラック手に ベルトモリツ」

 其のうち、別のコ-ナーである絵をみつけたのです。もしかしたらこれはミステリアスなお話にこだわる私の妄想なのでしょう。その題名は

 「ベルト モリツ」1987年 ペンシルバニアー アメリカ国籍 

 絵はまさしくマネの描いた喪服の女の1872年の作品です。当時この油絵を描いたアメリカの画学生は、 マネのアトリエに出入りできる裕福なアメリカの好青年モデルをしていたベルト モリツさんも、もしかしたらお互い好感を抱いていた。

 彼は、こんな風に 彼女に云った筈です。

 「僕にも マネさんと同じポウズで、油絵を描かせて下さい。」
 「アメリカに 行きましょう  ペンシルバニア 素敵な国ですよ!」
 「貧しい生活は決してさせません。」

 こんな声が聞こえてくるマネの傍に付き添っていた画学生。でもここで私も我にかえります。

「もし彼女が本当のプロのモデルさんだったら?」

 そんな甘いパリ ジェンヌはいるはずがありませんよね。

 みなさん、いつもありがとう。また連れ出してください!

2011年10月2日日曜日

ワシントン ナショナルギャラリーへ行こうよ! その2

「ワシントンナショナル ギャラリィーって何処?アメリカ!え?日帰りで?」
「地下鉄日比谷乗換ですよ。」
「六本木じゃあないんだ。」
「乃木坂です。」

「昔、乃木坂に初めて行った頃は、何もない街で乃木神社を見ただけです。乃木坂辺りではいい男だった と言われたもんだね。」
「いいえ、その歌詞は間違っています。こうです。『それでも乃木坂あたりでは  私はいい女なんだてね』」

「Aさんには かなわないですね!」
「もう、降りますよ。」

 地上に出るまでの階段の長いこと。やっと外に出ましたが、其処はまるでビルの屋上の様です。熱い! 真っ直ぐ数十歩行くと、又、目の前にビルの正面入り口ではありませんか。

「ここが私達の行き先、国立新美術館です。」  

 まだ中には入ったわけではないのですが、国立です。立派な構造を持った建築に違いないでしょう。でも このネーミングの付け方。新装開店の飲食店じゃあるまいし、何世紀も先迄も念頭に美術品を所蔵しなければならない美術館ですよ。名前を付けた役人が自分の生きてる間の矜持だけを念頭に付けた、この国立新美術館。 
 
 まずはこの耐えがたい直射日光から逃れたい。美術館の中に3人ではいりましたよ。私はIさんが買っておいてくれました入場券を渡されていたものですから、外の入場券売り場の長いあの暑い日差しに嘆くこともなく入ることができました。ひとえに彼女のおかげなのです。
 3人は広々としたロビーに満足できました。ロビーにはテーブル、椅子、老人 、若い人、車いすの人、子供達。ここが新美術館!

 先ずは座りましょうと他人を交えず3人だけが勝手に座れるテーブルを見つけ、私が持ってきた『青柳』のロールケーキ、瓦煎餅、珍しく買った金平糖を3人分ぴったりさげてきたのです。あとは水。食べ終われば、後は手洗いに行き、さて打ち合わせです。
 展示場を何時間で出てくること。印象派、其の後の絵画印象派。もし美術誌を何冊も広げて見るように歩きまわったらそれこそ半日は過ぎるでしょう。そこで、決めました。1時間半で出口で待ち合わせ。館内は お互い勝手!各自の好み、お好きなように、印象派 前期 中期 後期と部屋は 右 左 横 と人波に 揉まれ人の列どうりには決して歩きたくはありません。

 6月の何時だったか。私達この3人、ドガ展にもいきまいた。そして何となく不自然に感じたことは、 ドガ セザンヌも印象派の枠に分類されていました。1800年代と言えば半世紀前迄では、未だあのドラクルワーも現存して活躍していました時代です。

2011年9月17日土曜日

ワシントン ナショナルギャラリーへ行こうよ! その1

 1800年代から1900年代にかかる1世期のフランス絵画の印象派と呼ばれた時代を座等したパリ! 私が1900年代の生まれだから、後期印象派から現代絵画に移行し始めたパリ。フランスに行きたしと 思えどフランスはあまりにも遠し。現代みたいに情報文化が世界どこからでも入ってくる時代ではありません。

 当時の巨匠と言われた画家達もほとんど亡くなりました。戦後のアプレゲール アバンギャルドなどの喧騒も何時か収まり、マチス ピカソ ブラックなどが印刷画を通して見れるようになった時の驚き。世の中にはこんな素敵な色彩の世界があるんだ!と目を開かせられました。

 私が未だ25才ごろ。昭和25年の日本にはまだ身に付ける服でも殆ど黒か褐色でした。アテネ フランセの男性英国人教師が言いましたよ。「貴方達は何故、何時も同じ黒、褐色の服をきてるのだ。」と。 
 当時は勿論、誰もが貧乏でした。でも色ものを、着ることなんかが戦時中あるわけがありません。女性はナイロンのストッキング 一枚で身を任せたし、上野の森にいけば、マッチ一本 百円で少女のスカートの中を見せたと噂が広まった時代。私は其のころから、絵画の世界に手をそめたのでした。

 彼は多分、この店の常連。私の連れのことも良く知っている男。私がどこの旅館で働いているかは知らないはずはありません。彼の手は顔面だけを狙って打ってきます。私は間合いを取らせないように前へ、前へ身体を詰め、頭を右左によけながら進むのですが、彼は的確に当ててきます。

「やめろよ。話を聞こう。」

 彼は私を打ち倒そうという気はないのですが、なぶりものにし、恥かしめてやることが目的のようです。このままでは駄目だ。相手の懐に飛び込み、組み合いたい。身体は小さくても組めばかなり自信があります。ドタバタ騒げば店の誰かが止めに入る筈。それで駄目なら、
私の必殺技、指二本 中指と人差し指をつかいます。この指をダランと下げたまま、相手の懐に縋るように、気づかれず、相手の鼻筋に沿うように、其のまま目に突っ込んでやるのです。まあ、目は潰れなくても一時的な失明はする筈。でも、先に彼の手が私の鼻をかすめました、結果は鼻血を出してしまいました。詰まらない処で幕切れでした。

 聞けば、彼は大学のボクシン部で、国対にも出ていた人物でした。次の朝、私は三日の休暇を取っていましたので、誰にも気づかれずに午前十時の上り急行に乗りで東京にきていましたね。目の下に張れが有るため、眼鏡店でサングラスを買いました。 

 こんな話は五十年も前のこと。当時 サングラスなど かけて 街をあるいている人は、 ヤクザ か 映画人ぐらいです。 今回も 美術館へ いつもの彼女たちとでかけるのに、息子がくれたアメリカ製 のサングラスをかけ 、三人で新国立美術館、ワシントン ナショナル ギャラリーに連れて行ってもらうのですよ。道案内役はAさん ですので、こんなわけの分らない話でも 二人には 通じるのです。 

2011年8月21日日曜日

南高橋のいちじく


 南高橋になっているいちじく。
「無花果」 「映日果」 と 書く不思議な字です。

 キリストが暑い砂漠を弟子をつれ旅の途中、ふと見つけたこの木。葉だけは青々しているのに実一つありません。イエスは嘆き、以後、この木には 花は咲かなくても構わない!
 イエスに呪われたいちじく。漢字にはそんな意味が入っているのでしょうか?

   いちじく の花はしらずも 夏の果て       ノブ                                   

2011年8月12日金曜日

横浜「SEA BASS」第2回

 船が沖に出始めると、ここが横浜港なのだと良くわかります。右の方角に、ビルとビルに挟まって高くそびえる尖塔。

「ほあら、あれ、四月に行きましたよね。」

 そうだ。エレベターの料金を取られました展望台です。「みなとみらい」ドガ展の帰りでしたっけ。そのあとまたプーシキン展に行く約束もしましたよ。もう八月です。すっかり忘却していました。

 何故って、五月の大地震、東北地方の大津波。それに娘に呼ばれ、ひとまずアメリカ カリフォルニアに身体一つで一時避難。大自然の事件、人間関係の事件。忘れたいこと、心の痛みも回復したいと願った。そんな事があった時期でしたね。いろんな事を忘れるというのは、わたしが老人ボケだというだけではありませんよ。そんな想いは八十五才のボケも与えられた恵みともいえるかも。
ぼんやり水平線の房総半島を視界から外すと、船はもう船着き場です。

 ビルのテラスから曲線に階段を降した水際に、船客をもう長い列を作って乗船を待ていますよ。降りる人は乗船券は降りる時に、お渡しください。と声を枯らしているのですが、イメルダさん、券が見つからずなかなか出口迄やってきません。

「そんなの、失くしたと言えば、大丈夫!」  

 もう乗船を待ち構えてるところの終わりの一人の船客です。

 船を下りて、地下のビルの階段を上がり、一階の広いロビーは「そごうデパート」の入り口。そこの空間を利用して、出店が出ています。半袖シャツ、四種類だけ。それも五百円。東北津波難民の募金になるそうです。なかなかの私好みのがあったのですが、品切れ。買うのを諦めていたら、Kさんが、

「これ、マスターに買いましたよ。」

 と一枚手に入れることができました。胸に大きく      

 B E L E I V E
 J A P A N E S E     
P O W E R

 と書きこまれていました。今もこのブログを書き込みながら、愛着。Kさん有難うございます。
 そんなところに、イメルダさんが、急ぎでやってきました。

 イメルダさん「マスター、有りました、有りましたよ!マーロウはこのそごうの中の何処かですよ!」
                  
 私「え?店があった!」

 イメルダさん「そうよ。私、其の紙袋を下げている人を見たの。」

 「マーロウ」は、葉山御用邸の山裾にある 宮廷御用達の洋菓子店。そこのプリンがお目当てなのです。私はそのお店にIさんTさんと行った時、横浜にも出店があると聞き覚えが有りました。それで四人は大騒ぎ。

 マーロウは レイモンド チャンドラーの推理小説に出てくる私立探偵です。若い頃からのフアン。此の言葉が耳に残ります。

 『男は 強くな、ければ 生きていけない。  男は 優しくなければ 生きる意味がない』

 先ずはこのデパ地下から四人分かれて捜すこと。これもここに来た遊び心。誰かの声

「ここ!ここよ!」

 そこはショウ ケースが並べられてるだけの店でした。でも並ばなければ買えません。高級感に納められたグラスのプリンです。それぞれ何を 何個お買いになったかは 知らぬ顔の半兵衛。紙袋を下げ、地下鉄「みなとみらい」に乗るだけです。 

 横浜にお住まいのKさんは地下迄お見送り下さいました。階段の上から、私達が見えなくなるまで手を振り別れを惜しんでくれました。K女史、お騒がせ!勝手に呼び出し申し訳有りません。

無事に家に着き今日の報告がてら、家内に聞きました。そう、「SEE BASS」のことです。彼女は植物、魚類については 博識が深いのです。直ぐに解答が出ました。そ=SEE BASSは セイゴ フッコ の事をいいます。Black Bassと云う淡水魚がいますよね。
はい、分かりましたとマーロウのプリンを渡して退散しました。

 みなさん、一日どうもありがとう。またどこかに連れ出してください。

2011年7月30日土曜日

横浜「SEA BASS」第1回

 上り東海道線の9番線でと待ち合わせ。北口の駅前からバスに乗せらました。桟橋のある横浜港、ああ、なんという初夏の晴れやかな水平線と空の青さ。皆さんの気持ちの優しさが風のように明るく包んでくれます。

 女性みなさん、Iさん、Aさん、横浜在住のKさんと横浜に来ました。Kさんの案内がなければ私達、多分、よくは知らないわけではないけれど、随分Kさんの土地勘が私達をのんびり気ままにあそび回らせてくれました。

 私「Kさん、確かこのあたりに紅い靴はいてた女の子の像があった筈だけど?」

探し回りましたがありませんね。Kさんが急いで氷川丸の船舶の傍で、係員のおじさんを捕まえて聞いています。戻って来るなり、云われました。
 
 Kさん「随分前にもう通り来てしまったみたい。戻るのは大変でしょう。何処かこのあたりで何か飲みましょうよ。」

 Kさんは私の携帯で突然、呼び出されのです。もしかしたら何も食べず駆けつけて来てくれたのかも。
 私と残りの二人のIさん、Aさんは昼近く平塚美術館の帰りにIさんの元上司のクマさんに平塚で<ウナギ屋>へ連れてってもらったのです。充分とクマさんに飲み食いさせて頂き、その後たまたま横浜に行くことになり、横浜在住のKさんをお呼びだてしたわけです。クマさんとは平塚でお別れしました。本当に美味いと云えるウナギでした、Kさま、御馳走様でした! 

 そんな事情があり、もうお昼過ぎでも私達は平気なわけです。多分Kさんはお腹もすいていらしゃる筈。彼女達は早速見つけましたね。反対側のホテルのLounge。でもまだ 昼過ぎの1時を過ぎた頃。人が並んで待つています。 でも外で待つよりは中で待つほうが涼しい筈。躊躇わず中で並びましたよ。
 そのうち私達を見たウエイターが寄って来て、「もし、喫煙室でも宜しかったら。」と、店の一番奥の室に案内されました。 私達、誰も煙草を吸う人は居りません。先ずは早く何かにありつければ文句はありいません。でも、周りは喫煙者ばかり。ここには家族連れでははいれませんよね。

 オーダーを取り 私は皆とは別にビールを避け、ジントニック1杯にしようと拘りました。何故て年寄りです。トイレを探すひどい目に逢わずに迷惑をかけたくない思いがあるからです。食べるものも皿一杯に盛られている物は駄目、見るだけで手が出ません。
 一方、女性3人は よく飲み、よく食べています。3人のおしゃべりの会話は、見てるだけで楽しい蘊蓄を傾けた遣り取りで、私も合い間を縫って口を挟んで繋ぎ目役でした。

 喫煙室の隣に座った青年三人は凄いヘビースモーカー。そして話すと云うよりは怒鳴っています。もう出て行きたく彼女達の顔色窺うと、流石Aさん、気づいてくれました。 彼女の「もう 出ましょうか?」 の 一言で三人は立ちあがり、すぐにレジに向かいました。
 気を見るのに敏なのはただの女性達とは違いますね。私は彼女達に御守されて平塚、横浜に連れてこられた老人です。わがままでもいいかと思っている勝手な男です。みなさん、ありがとう。

 港湾の桟橋に行きかけて、何故か氷川丸の船体が気になります。もう十数年前この看板に上がり、何かを飲んでいた頃を思い出します。仙台の津波で日本の原子炉が浸水しこの騒ぎ。氷川丸は今の横浜 観光記念船で人を呼び込んでいます。「昔は昔、今は今」感慨無量の言葉が象徴的で心をゆさぶります。

 Iさんが遊覧船に乗りたいと柵のある桟橋にもう人が並び始めました。何処でチケト売ってるの? 見回したらもうKさんが窓口で皆の切符を買っているではありませんか。

 Kさん「早く、早く、船はもう時間どうりでますよ。」矢張り地元横浜子ですね。遊覧船の横腹に大きく「SEE BAS」と書き込まれてます。海のバスにしては スペルが違う。そんな詮索をしている時間はありません。船板を踏み中へ。私には 行く先きも ただ海をまわって来る観光なのかさえ判然としません。 

2011年7月12日火曜日

皆様へお礼













 35年間営業してきましたThe 黒船屋の閉店に際し、私達そして店のためにたくさんの皆様にお越し頂き、ありがとうございました。

 店は耐震工事のため、取り壊すことになります。店はダンボールだらけ、グラスも酒瓶 も、椅子ももうありません。ガランとした 倉庫となり、もう黒船屋の面影はありません。

 でも皆さんが撮ってくれた写真が集まれば、ああ こんな店だったんだ とわかってもらえますよね!

 開店の時に娘が生まれました。出産のあの日も大変でした。お祖母ちゃんに怒られましたね。

「こんな日に重なるなんて、貴方達 子供の作りかたも 下手なんだからね! 」

 忘れられない 一言です。

 皆様、とっていただいた写真がありましたら、是非、私までメール等でお送りいただけますと幸いです。送付先はこちらまでお願いします。
nobuohorie@gmail.com

 店はなくなりますが、何かの形で人が集まれる場所を持ちたいと思います。ブログは引き続き続けていきますし、私たちは同じ場所に住んでおりますので、誘い出してください。

 ありがとうございました。

2011年6月22日水曜日

「The 黒船屋」閉店のご挨拶

 この度、ご常連の皆様に辛いお知らせをすることとなりました。

 今年の六月末をもって『The 黒船屋』を閉店いたすこととなりました。時代とともにお店の老朽化が進み、大変辛い決断を迫られることになりました次第です。

 思えば開店当時、『黒船屋一代』などと気負って私のプライドを『ザ』に託して名前を付けましたが、今はその『ザ』は涙で濁り、濁点のついた『サヨナラ』の『ザ』です。

 開店より三十五年、皆様には長い間ご愛顧いただきありがとうございました。心より感謝いたします。

                                  平成二十三年五月
                                  The 黒船屋 亭主

2011年5月2日月曜日

船の溜り場


 小さな紙を隠すように持って、万年筆でチョコチョコて描きました船の溜り場です。
 このスケッチは南高橋から 高橋を見通して 葉書サイズの紙に慌ただしく 構図だけを、念頭に描きなぐってきたものです。

 この船溜まりは以前、ハシケ「自分で 漕がなければ動かない船」が親船が引っ張りにくるのをそこで待機し、家族で生活していました。ハシケ船どうし渡り板をつなげ、所謂船上生活者の集まりがあった場所。

 子供達が学校から帰ってきても、我が家の住い、船は戻っていないことは屡です。そんな姿を想いうかべると、 弟達の面倒をみる お姉ちゃんの活躍が瞼に浮かびますね。洗濯 物を紐に吊し、兄弟喧嘩の仲を取り持ったり、お腹のすいた 子供達に どこかに 隠し、仕舞っておいた何かしらの食べ物を分かちあってる姿。

 最近ではそんなハシケを見掛けなくなり、エンジンの親船が亀島川から 本流へ 水門が開くのを待つ 船溜まりです。私の描く絵はそんな思いに混沌と暗くなるのでしょうか。

2011年4月30日土曜日

我が家のつる薔薇

春霞 青葉隠れに 翔ぶは蝶

2011年4月4日月曜日

4月3日 娘の誕生日

 東京は明日は日曜日。あと3時間であなたの誕生日。

 泣き、笑い、怒り、カヤの人生は素敵です。

 お誕生日 オメデトウ

 パパもママも貴女を愛してます

 ママの大好きなバラの季節がやってきます。

 ローズは何処の国へいってもローズです。

 ローズは性愛の女神のアナグラム

 ローズ エロス

 カヤはやっぱりママそっくり

 ママに怒られるとそうおもいます。 
   
 カヤにギリシャ神話の一輪のローズラインをを贈ります。

 トムもカヤの素敵なパートナー。

2011年2月9日水曜日

ママ体調不良によりお休み

 ママが体調不良のため、今週2月11日の金曜日まではお店はお休みさせて頂きます。早く元気になりますように。来週月曜日からは営業します。

2011年2月8日火曜日

ジャズクラブ J 第3回 新宿御苑からJへ

「横断歩道はここ!パパ、ちゃんと渡るわよ!」 

 車道を出て、右を遠く眺めると、懐かしいあの伊勢丹の字が見えるネオンの看板の灯り。そうか私は新宿駅は左の方向と思って歩いていたけれど、私達はだんだん四谷大木戸の方から入れる御苑裏口の近くに来ているのだ。
 また、私は淀橋にいた頃を思い出します。もう八丁堀の豆まきは終わりましたが、淀橋の鬼王神社の豆まき、甘酒、テント小屋の地獄極楽めぐり。九段靖国神社のお祭り。ここのお祭りの出しものは、あの日の昭和を憧れる懐かしさがあります。

 いくつもテント小屋。其の前の、呼び込みのあの声。あの口上を見上げながら見てるうちに、半日はアッという間に過ぎるのです。口上の合間に、後ろの幕を、チョット引き上げて中を覗かせてくれるのも、わくわくするのです。 
 ロクロックの首の女。そうかと思うと、
「サア、サアーこれは二度と見られない、世にも不思議な大イタチ。見なけりゃ損 ソン。驚かなければお代はいらない!」
 つられて中に入ると小屋をグルリと回れるように、縄で柵が張られていて、真ん中に大きなドラム缶が置いてあり、その上にでっかいまな板が乗っけられてあります。板の上には血糊を思わせる色がベッタリ。
「サア サア、 これが世にも不思議な大板血だよ。」
  
 フランス映画の天井桟敷、犯罪大通り、あの名女優 アル レッテイが見せ物小屋でドラム缶に身を沈めて
水の中に座りこむ姿はまだ絵になりますが、こちらの大イタチは、落語のオチにもなりませんね。
 それでも入場料を払った人達は苦笑いするだけで裏口から、さも面白かったと、見物人の顔を見ながら出て行くのです。靖国神社だもの、だますのも、だまされるのも芸の中さ。

 イメルダは反対側の歩道を歩きながら、ブツブツ云いながらJのクラブを「確かこの辺りに、昔、厚生年金ビルがあった筈・・・」そして一寸その辺で聞いてみます。でも近在の何処のビルも殆ど明かりが点いてはいません。彼女はビルの薄暗い通路から出てくる初老の紳士を目ざとくみつけました。彼女は直ぐ駆け寄っていきました。その人は昔の厚生年金ビルと云う言葉にすぐ反応を示してくれました。それは彼女が記憶してたとは反対の方向を指さしていました。 
「反対側に渡り、あの紅い中華料理の看板の傍にあるはず。」
 男の人の言葉は的確に教えましたよ、と迷いがありません。彼女は納得できず憮然としています。
「嘘よそんな筈絶対ない。あの人私達をからかったのよ。」
 もう先の方に行った人の後を追いかけようとします。
 私「まぁ、急ぐことでもなし、ほら、信号も青だし渡ろう。」
 仕方なく彼女も私と渡ってくれました。女性は強い、いいや、美女は怖いというべきかな。

 7時半開演迄、あと10分です。急がなければ。中華料理店はもう目の先。彼女が立ち止まりました。この地下に、それらしきクラブがあるわ。でもJでは有りません。
 もうひとつ先に私の気になるシャンソン クラブ!気になる二人は下まで降りてしまいました。廊下の壁にはよく見知ったシャンソン歌手のポスターがいくつも貼られ、壁際に置かれたプログラムの案内が積み重ねられてあります。廊下の奥からロングドレスを着、付け髪を垂らした女性、多分ここのシンガーなのでしょう。ドアーの中に消えました。入れ替わりに、ギャルソンが現れ、店の説明、歌手などを説明してくれましたが、時間帯を2時間置きに会費、入場料も違うみたい。とりあえず パンフレトを貰って逃げ出しました。横断歩道を渡りワンブロク捜しましたがJは見つかりません。

 「矢張り、絶対最初捜したところよ。」とイメルダ。又、横断歩道を急ぎ渡りましたね。そしてここはあの初老の紳士に彼女がJの店を聞いたところ。もうここのビルの一画は真っ暗。流石に彼女も
「この表通りは諦め、この先のビルの横町を探しましょう。」と歩きかけた時、ビルの前の駐車場を眺めたら、低い立て札に『Jジャズクラブ』と矢印 が書かれてあるではありませんか!

「パパ、パパ!あのビルの地下の入り口看板にJジャズクラブ!さっきの男の人の隣のビルよ!やっぱり、あいつ私達をからかったのだわ!」

 また、彼女の怒りに火が付きました。 私は、でもこう云う街のビル街は、下町と違って隣同士の付き合いなどないよなと思いつつ、やっと目的のクラブの階段を降りることが出来ました。

 この続きはサンフランシスコの娘のところで書きます!             

2011年2月1日火曜日

ジャズクラブ J 第2回 丸の内線で新宿御苑

 やっと日比谷線を抜け出して丸の内線に移動します。二人の歩く先は何んとなく「犬も歩けば棒に当たる」と云う感じでしたね。
 私は階段を降りると、すぐ左側から入ってきた電車に直ぐ乗ろうとしました。私が今歩いてきた道は、東から西に向って歩いてい来たのだから西に向かって走る電車なら、新宿行きとの思い込みが強いのです。 イメルダさんから声がとびます。        

「それは反対方向に行くわよ!こっち側から乗るの!」

 私には何故か自分が立っている点の地球の平面図が認識出来ません。何故又東へ戻るのか?後でこれも我が家の奥さんに聞かされました。

「丸の内は堀に仕切られた城郭の下を抜ける地下鉄です。唯、真っ直ぐトンネルを掘って行くことなんか出きるはずは無いでしょう。堀に沿って円形に回り道を作らなければいけないの。だから、丸の内線でしょう。」

 なるほど、だから北西へ回っているのか。新宿御苑前はすぐでしたね。でも、新宿と云うイメージは有りません。歩道の灯りも暗く、店の眩ばゆい光も見当たらず、淀橋の小学校にいた頃の、太宗寺付近を思い出していました。ここの仁王様が見たくても、何時も薄暗く、覗く勇気が出ないのです。

 イメルダさんはそんな私の昔の回想など知るよしもなく、どんどん御苑方向に足を伸ばしています。横道に入るとそれなりに店の灯りも人恋しく瞬きます。

 私 「もうJは此の近く?」

 イメルダさん 「そう、もうこの横町を出た通りの向こう側ですよ。でも7時半まで時間が余るわ。ブログに載せる写真をとりながら、何処かのお店で休みましょう。」

 私 「美味いコーヒーが飲めそうなところがいいな。」

 さて、捜すとなるとそんな店は有りません。食べ物屋、あとは飲み屋ばかり。でも横町の角に、外から中の見える明るい店。でも客は誰もいませんね。カウンターの棚を見れば、ここはワインバーですね。でも一応イメルダさんがききます。

「コーヒー飲めますか?」
「コーヒーは飲めますが食事はもう終わりましたが。」
「コーヒーだけでいいです。お願いします。」

 なにはともあれ、コヒーは飲めました。でも、その店はなんとなく奇妙な店。客がこの時間一人もいない、カウンターの中に紅いベストを来たバーテンダーが四人、その奥にキッチンのシェフが一人、顔が見えます。もしかしたら私達は昼の部とこれから夜の部の交代時間に飛び込んだのかも知れません。バーテンはカンターの中では、なにかしら手を動かし客が居なくてもグラスなどふき、動いているものですよ。でもここの四人は前のテーブルを見つめたまま。従業人と云う雰囲気がありません。兄弟、親族の素人ぽい集まり?一寸水を一杯貰い、話しかけてみました。

「店は何時迄開けているんですか?」
「十一時までです。」
「じゃあ、これからですね。」
「もうこれで終わりです。皆、地下鉄に潜り込んでしまいます。この辺を歩く人はカップルだけです。」

 そう云われれば、私達二人もそんなもんかも。昔の赤線地帯から、四谷、大木戸あたりは格好のデートコースだよな。新宿は、歌舞伎町界隈、新宿区役所通あたりしか人は集まらないみたいですね。
 愛称をこめてイメルダと呼ばせて貰うね。

「イメルダ!どっち側にJはあるの?」
「パパ、この携帯ではうまく撮れないから、カメラで撮るよ。そこに立ってこっち見て。」

 Jはその大通を渡れば、右側だと思うけど、ここからが本格的ジャズクラブJを捜すことになるのですが、さて? 

つづく            

2011年1月24日月曜日

ジャズクラブ J 第1回 私のお出かけ付き添い人Iさん

八丁堀から日比谷線、丸の内線で乗り継ぎ、新宿御苑前までと夜の新宿の街へ。何時も何処を歩いているのか無頓着な85才の私と何時も一人で海外に出かけるマダム イメルダと呼びたくなる彼女との珍妙なカップルです。

 平日金曜日の夕方6時。帰宅を急ぐサラリーマンで混む時間帯。イメルダに云われます。「離れないで!」私ば、地下鉄くらい、一人でも乗れるよ、とばかり入口の脇にへばりつきます。

 降りる人と、乗り込もうと待ち構える人の異様な殺気がありますね。私は急ぐわけでもないのですが、自分の小柄な身のこなしで隙間になんなく入り、角の空席に回り込もうとした時、反対側から男性が背中を盾にして、座りこもうとしましたが、私が年寄りと気がついたのか、踵を返してしまいましたので、私も、軽く頭を下げ「どうも。」と云いましたよ。

 イメルダはこっちに目を光らせて監視しています。銀座駅迄は3つ目ですからすぐですよね。でも、人の身体で何処の駅で停まったのか見当がつきません。 東銀座なのか築地なのか見当がつきませんよ。空いてる電車なら慌てることは無いのですがね。イメルダがすかさず云いました。

「次が東銀座、その次ですからね。」

 次の停まった駅の乗客の混雑していること!ここが東銀座。矢張りこの辺も商社街のビルばかりになってるんだなと昔の八丁堀のサリン事件以前のどぶ川の頃を感慨に耽り、席を立ちあがりイメルダの傍にくっつきました。
さあ、この銀座駅で、乗り継ぐ地下鉄線が、銀座線、丸の内線と日比谷線。各種に人々は向うのです。車内から降りる人は、半分はここで降りるのですから、其の人波に巻かれられないわけはありません。

 シヤンソンの歌ではないけど、

「サンジャンの人波に 私は巻かれていた」

 でも、アコーディオンの響きではなく駅構内の案内の甲高い声。英語、中国語、日本語と長々と説明を理解しおうとしても、殆どの人は聞きはしないのでは?

 エスカレーターに向えば、人波に、否応なく乗らなくては、中ほどまで上る中に人も、整然と姿勢を正すことができました。

 そのとき、前で立っていた若い女性がよろめいたたのです。後ろを振り返り、下を向いて何か探してる様子。私もすかさず視線を下に向け、何か固形物があるのに、目を止め、拾い上げました。これ!ヒールの足のカカト。

「あっ、有難う御座います。」

 カカトを手に取り彼女は茫然と、うろたえています。エスカレートを降りても、立ちすくんだまま半ベソをかき、手のひらのカカトを見つめ、泣いてしまうかな、と思わせる若い女の子。その娘が都会子ではなく、地方から来た娘なのは直ぐ分かります。拾い上げた関わりが有るので、私としてはあまり深入りしなように、

「あそこの駅員さんに行ってヒールが折れてしまったのと相談するといいよ。」

と声をかけました。私の後ろにイメルダがいて、すかさず彼女はいいました。 

「そんなの心配することないわよ。一緒に行ってあげるから。いらいしゃい。」

 そして、そのとき、その娘が云う言葉に私はびっくり。

「私、現金がないんです。」

 でも、イメルダは平然としています。

「大丈夫、カードがあれば、其のへんでおろせるから。」

 駅員のところに、その娘を連れて行き、カカトの折れた靴を見せ、この辺のヒールのカカトを直してくれる所を聞き出しています。 駅員が指で改札の外を差し、カードでお金をおろすならこの自販機の横にあります。そんな事云ってるみたい。二人はそこまで行き、何とかお金を下ろしたみたい。
 私、「そうか、そうか、現金がないということは、お金がないんじゃなくて、唯、現金がないと云うことなんだ。」イメルダは娘にあそこだよ、改札でて、すぐそこよ。

 流石、マダム イメルダ。拍手!私が一人でいたら、改札を出て、一緒に靴屋まで行って、多分修理代も払いかねません。

 この事を、2日後の夕方息子が来たので話しました。彼は人の顔をニヤニヤ笑いながら、なにを馬鹿なことを考えてるのと彼の回答は、数学の答えみたいに割り切れていましたね。

 「俺なら、もう片方のヒールのカカトを折ってそのままで歩いて、靴修理に持ていかせますね。ローヒールのつもりなら、いいんじゃない。 修理代は一つも、二つも 値段的に変わらない筈。」
 と、冗談ぽっく言っていました。

 私は、そんな発想が瞬時に出てくる彼の反射神経の答えに、軽く面を取られた気持ちでした。そして、その話をまた後になって、我が家の奥さんに話したところ、彼女の解釈はまた、違いましたね。
    
 「なにを、馬鹿なことを云ってるの。 靴はローヒールでも、ハイヒールでも、カカトがなければ歩けません。スリッパで足を引きずるようなものですよ。」

 やはり、ママ、ごもっともです。

つづく