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2010年10月11日月曜日

伊豆 日帰り旅行 その2 河津バガテル公園


此の公園は、パリのバカデル公園を忠実に再現したフランス的なBagatelleな小路に導かれ、多くのアーチに囲まれたローズガーデンです。
 バガテルとは、フランス語で「小さく愛らしいもの」を意味します。

 東屋、レストランに入ると、入口に、こんな意味のスタンプが有りました。スタンプには黒猫が尻尾を高く上げた真横向きの猫。 

 Etre pas volert par et chemine. Merci Boucoud !

「採っては 駄目よ、路に沿って 行ってね!」

 Merci Beacoud! Mon Amies!

秋薔薇は、もう冬薔薇に近く花弁も衰え、でも枝ぶり、緑の葉はこんなに親しく見られたのは貴重な体験と、ママは喜んでいましたよ。

 お昼はモネゆかりの睡蓮の池のほとりのレストランで食事。四人それぞれ勝手なものを注文。私はカレーがとても気に入った味、サフランの黄色い、久しぶり目にする、カレーライスでしたよ。 

 改めて、Iご夫妻、ありがとう!お風呂もよかったです。

 薔薇の視る 地平は昏き 夜明かな

ノブ

2010年8月25日水曜日

ウィーン旅行より 第3回 迷宮のシェーンブルン宮殿


 ウィーンの誇る世界遺産、シェーンブルン宮殿を歩きました。宮殿内部のいたる処にはめこめられた壁面の絵画、天井画、彫刻、ロココ様式を残した部屋、部屋、部屋。会場を埋める観光客の頭越しに私はこの近づき難い部屋の雰囲気に浸るのが精一杯でしたね。
 次の部屋、又、次の部屋と彷徨う迷宮の会場内部。普段の展覧会場なら、自分の見たいと思う一点に絞って、それを見て満足出来るのですが、ここではそういうわけにはいきません。ガイドの案内に足を運ばせるだけですから。

 さて、最後はいよいお楽しみのシェーンブルン宮殿のマリオネット劇場・・と書き始めましたら、細君からストップがかかりました。私がこれから書くこの劇場は勘違いでシェーンブルンの劇場ではありませんよ、と言われてしまいました。
 はて、それなら何処の劇場なの?申し訳ないのですが、其処がどこだったか四人とも覚えていません。ウィーンと云う街は何処を歩いても白と灰色の尖塔に囲まれ、由緒ある時代をあらわしています。最後の結論は、今度はもう一度ウィーンだけ二、三泊の旅行を試みよう、なーんて笑い話で終わりです。

 でも、其の場所、名前は分からなくても、現実に見たことは夢ではありません。其の劇場の舞台から五、六列目の中央に四人揃って座れたのですから。
 
 舞台は、弦楽器が二つ、コントラバス バヨオリン、四人位いたかしら。流れた曲目は歌曲ではありませんでした。あの「美しき蒼きドナウ」後ろの席で、ここはオペラではないのか?とブーイングと云うわけでもないのだけれど、戸惑った感じがありましたね。

 デモ演奏も適当に終わらせ、ステージに現れたテノール歌手オペラの一場面です。声に呼び寄せられるように、舞台の袖から現れる妖艶な美女と云う設定ですね。華やかな歌の掛けあいから、ラストのソプラノの悲痛な叫び、男のなおも、愛を追い求める激しい手の動き、女は打ち伏せるように楽屋え消える。
 
 これからが、この劇場の本番。舞台も広がるように、楽器類、マイクなど、袖口の奥に目立たなくセットし直しされました。舞台の周りは薄暗く、中央は円を描くように照明されてます。
 客席の暗がりが急にざわめきます。一人の男が背中に等身大の人形を軽々と背負い、舞台の階段を駆け上がり人形を抱きかかえ、お客に向い挨拶をさせます。ところが、人形が男の手が離れると、もろくも、くずれてしまいました。仕方なく、男は舞台の裾に身をひそめていた楽師に音楽をと、サインを送ります。

 すると、どうでしょう!音楽の流れに身を任せ、人形は踊り始めたではありませんか!男と二人で蝶が絡み合うように歌を歌い、素敵な舞踊をみせてくれます。そして、これはモーツアールトの歌劇<魔笛>です。
 終幕近く二人の掛け合いの言葉<パ、パ、バーパパゲーノ> <パ、パ、パーパパゲーナ>でも、所詮は人形。男が手を差し伸ばしても、もう脚を上げる気力もありません。男は抱きかかえ、もう一度ネジを巻くのですが、彼女は立ったまま動きません。無理に引き寄せようとした時、人形の手が不意に男の頬を思い切りひっぱたいて、彼女は倒れてしまいます。

 言葉で書くと、こんな紙芝居になりますが、発声も、踊りも プロ級でしたよ。昔は本当の人形劇、とか 子供が怖がるギニョウル劇を見せるところも有ったと聞きます。私は充分楽しめました。
 しかし、この劇場はどこだっだのでしょう。ご存知の方、いらっしゃいますか? 
 

2010年8月20日金曜日

ウィーン旅行より 第2回 ボードレール


 I君とはその後半月以上、お互い音信不通の状態のままになっていましたね。
 其の後、OH、HOW DID IT GO!

 彼と私には、フランスの詩人「ボードレール」に共感関係がありました。私はボードレールの「悪の華」見出しの前書「読者に~」を、W大の文学部にいたもう一人の友人T君に
「これ訳してみないか?卒論に必要なんだ。」
 と持ちかけられ、原稿用紙1枚位ならと、取り組む事にしました。
 単語は辞書を引けば済むけれど、文の脈絡も理解出来ず、単語を並べ睨めっこです。後は自分の頭の中で、詩を作り上げる作業。
 訳詩が有る筈だからと私は神田の古本屋を歩き周りましたよ!立ち読みは、新宿紀伊国屋で何時間でも慣れていましたので、メモを取ることが苦手な私は「記憶する」というより「理解して来る」ことに腐心しましたね。
 でも、其の訳を読んでも、何処がこれが名訳なのか、この中の何処にボードレールが居るのか分かりませんでしたね。ことに、最後の読者に呼びかける語彙の貧しさ、言い回しには唖然とします。
 最後の読者への呼びかけの言葉、

「おお、お前達 この偽善者な読者よ」
  
私の言い回しと並べれば、こうも違います。

「おお!君たち、この猫被りの諸君よ!」 

この様な文体で、私は彼に手渡し凄く喜ばれましたよ。 

 Aimer a loisir   気まぐれな 旅への 誘い
 Aimer et mourir    愛 も 死も
 Au pays qui te ressemble! 其れも 似たような 裏 表 さ


 I君の心の葛藤も、このボードレールのこの詩が物語る何か哀しみが疾走していた筈。
 二百十日の過ぎた秋口の避暑地の海辺、あの海の見張りやぐらも取り外され、海の家もなくなり淋しさは、打ち上げられたあれら大木の虚しさ。I君は江の島の浜辺で、ざわめきの消えた枕木に身を寄せ・・・・
 これも若き日のウェルテルの哀しみの一ぺ―ジ。 

つづく

2010年8月18日水曜日

ウィーン旅行より 第1回 オペラ座とモーツアルト


 ウィーンのオペラ座と楽友協会に私を連れていく?頭の中には毎年のニューイヤーコンサートは、この楽友協会のホールで演奏されると云う聞き覚えがあるだけです。 

 話を聞き始めると、ここオペラ座は、国立歌劇場。モーツアルトのいたころは宮廷歌劇場だったわけで、モーツアルトがウィーンで活躍したのは、200年程前ですね。当時は宮廷楽師としての地位がなければ、貴族、セレブの援助を受けることが難しい階級制度がありました。
 モーツアルトは若い時から、宮廷の大司教コロレド聖職者の、親密な保護が有ったと聞きます。ウィーンでの宮仕えの虚しさ。宮廷音楽に満足することができなくなた彼は不意に故郷のザルツブルグの我が家の部屋で、初めての短調、あの25番のシンフォニーK183を作曲したのでした。

 時代の波は旧交響曲の流れに若さと新しさを求め「疾風怒涛運動交響曲」はウィーンを中心にあの有名な大詩人ゲーテ、「ギョーテとは俺のことかとゲーテ言い」が音頭を取ったそう。

 モーツアルトはこのト短調シンフォニーを手に、1773年秋、また宮廷楽師としての職務に戻るのです。この運動は諸国に身をひそめている音楽家も、容易にウイーンに近づかせなくし、あのベートーベンでさえ、モーツアルトのいるウーインには脚を伸ばすことを、躊躇った聞きます。

 私が初めて、このト短調シンフォニーを聞いたきっかけは、戦後の二十歳代青春真っ盛りのころ、小林秀雄が書いたモーツアルトのこの言葉。
モーツアルトの TRITESSE ALLANTE

「悲しみは疾走する 涙は追いつけない」

 此のセリフは、戦後の20歳台の若者の屈折した悩みに、どれほどの衝撃を与えたことか。  
 I君は私の文学、フランス語の唯一の友人で家が下北沢、私は明大前。私達は下北沢の駅でよく落合い古本屋めぐりをしながら、本屋のおやじさんから「此の裏の横町の奥に横光利一先生の家が有るんだよ。」と教えられると、其の通りを通るだけで、胸をときめかせたものです。

 或る時、その彼が下北の駅で別れ際、普段とは別人のように口もきかず、背を向け反対のの出口へ手も振らず去って行きました。 私は非常に腹が立ちましたが、それならそれでと、自分の腹をくくりましたね。

つづく

2010年8月17日火曜日

夏休みの御宿(おんじゅく)


 例年、恒例の黒船屋の親睦会です。 もう、何年続いているのでしょうか。息子、娘が小学校の頃からですから、もう30年近くになるのでは?
 最初は多分家族旅行みたいに店を休み、夏ぐらい海水浴にでも連れて行こうか、と言う話だったと思います。当時はそれ程、店の仕事だけに、おいまわさられていた毎日でしたね。 疲れを知らない子供のように、朝から夜遅く迄。振り返ってみると、頑張っていたな、感慨に耽るものがあります。

 でも、現在は子供達も自立し、私ども夫婦で気ままに気の逢う御常連の方々を誘い出かけております。そして今では、御夫婦連れて海辺の割烹旅館で総勢11名の夫婦連の方々を含めての親睦会になっています。今年は、私かパソコンを持ち込み、宴会中にスカイプを使い カリフォルニアにいる娘を会話に交えて、みなさまのご機嫌伺いが出来ました。昔から娘を知っていらしゃる御常連は大喜びでした。私は、パソコンを持ち歩き、料理を食べることができませんでしたがね。

 毎年お世話になる旅館は「かいらく」。旅館のご主人とは彼が若い頃からの付き合いです。わがままをきいてもらい、のんびりさせてもらっています。写真は夜のご馳走。みなさん、美味しいと喜んでくださいます。

*かいらく
〒299-5103
千葉県夷隅郡御宿町新町539
TEL:0470-68-3231
http://blue.zero.jp/kairaku/index.html

2010年7月28日水曜日

Vienna ウィーン旅行


 若い時、熱にうなさられたように、オスカーワイルドの刺激的言葉の虜 になっていました私は、この歳になって初めてオーストリアにやってきました。ハプスグルグ家がマジゃール貴族と妥協し、1867年ハンガリー大国の建設を認め、国君連合 、オーストリア皇帝がハンガリー王を兼ねることに成立しました二重帝国です。

 私のヨーロッパのイメージはあの世紀末のアート、文学。勿論、音楽はやはり、あのベートーベンもウィーンで逢うのも恐れたモーツァルトが主流でしたね。ベートーベンがウィーンに来た時は、すでにモーツァルトは他界して居たそうです。

 ステファン大寺院、女帝マリア テレジアの夏の離宮。華麗なるロココ調のボヘミアンスタイル。快楽と哀愁に、霧のような吐息。そこで何が行われていたのか。

 「上流社会を飾る芸術は、下層階級に巣食う犯罪に似ている。
  芸実も犯罪も、どちらも異常な官能を刺激するところが似ている。」

 石畳の裏路のすき間にはまだ前世期の馬車道、ひずめの脚跡を覗き見してきました。

2010年7月9日金曜日

ウィーンの夕立


「ビィエナの夕立

 誰もが ボンソワール  

 思っても いない 俄か雨

 あなたは旅行者なのさ。

 bonsoir! bonnuit !
 tu`nespa change A plus !」

 俳句をムシュウ ヘルムート氏に書きかけてこんな断片・・・
旅行のご報告です。スイス、オーストリアと10日間の旅に出ていました。 

ウイーンの旧市街の石畳を歩き、この時間の俄か雨。
凄い粒の全て流し去ろうとするかのように傘を開く暇もない。
毎日、買い物に出歩くあの人達。
もうご存じのはず。
若い男女は小さな傘に抱き合ったまま、
雲間の太陽を自分たちを邪魔しないで顔見せないでねと濡れた肌を絞るのさ。
街の店前の御常連。
ソフトクリィームを食べ終わりもしないでもう通りの真ん中を歩き始めるのです。

 この七月の夕方の熱気は、まるで日本の夏並みなのですよ。

 旅行記のブログは少しずつまた書き始めます。
取り急ぎ報告まで。

2010年5月21日金曜日

観音崎より城ヶ島 第3回

 ここから車は葉山へ。日はもう西へ傾き加減4時近くになります。
 葉山御用邸近く、Iさんがこの辺でケーキ屋さんへ入ろう、と突然車を止めさせました。少し行き過ぎたけど、崖沿いに、成程、瀟洒な店構えがあります。車を坂上の一寸とした広場につっこみ、房総半島をも見渡せる海を眺めながら、その店へと出かけました。
入口のテラスからカウンターの受付迄待ってる人です。店の女性が予約の名前と人数をメモしていきます。でも、店の中で食べる人は割と待たずに入れています。並んでいる人達はお土産を買いに来ている人達なのです。私達三人は簡単に中に入り、注文することが出来ました。
 なんで、ここは有名なんだろう、とメニューを見ますと「カフエ レストラン マーロウ」店の略歴は知らないけれど、早川ミステリーのファンなら、この咥え煙草の男性フィリップマーロウのことだとわかる筈。
 私も私立探偵になった気分で、店内を眺めまわしました。インテリアも素晴らしく、調度も椅子テーブルも一級品。各席も幾つかの部屋で区切られ、ゆったりとした気分でカフェとケーキのひと時で感慨に耽ることができます。中折れ帽のひさしの陰からキラリと光るマーロウの目。 
 そこで店員の女性が入ってきて云うのです。
「当店は五時までの営業でございます。お土産の品も残り少なく、御注文の品がありましたら承りますが」
 
それで、私達も土産のプリン、ケーキなど買わされ、帰途に就くのでした。
 Iさん、Tさん、一日お世話様でした。お陰様で楽しい旅でした。またどこか連れて行ってください。よろしく。
 
 ※プリンの有名なマーロウ
 葉山店 三浦郡葉山町掘内2038-10
 046-875-0412
 http://www.marlowe.co.jp 
 お試しあれ。

2010年5月20日木曜日

観音崎より城ヶ島 第2回


 この町の反対側には北原白秋記念館のある「通り矢のはな」、
「雨は 降るふる 通り矢のはなを、利休ねずみの 雨がふる」
 やっと記念館につき、嬉しいことに、入場料は、ここの教育委員会が管理しているので、無料。十分一めぐりして、投句用紙に一句。係のおばさまに発表は来月と言われました。

 これから三浦三崎の漁港でランチです。「神湊」と宣ふ店の上がり「かまち」にある畳のテーブルにつくことができました。そこは、定食が二種類だけ、「わくわく」2千円と「ニコニコ」千5百円だけ。私は小食なので、ニコニコ定食にしました。Iさんはビールとお酒で、気分よく食事を終えましたが、神奈川県内は条例でどこも禁煙区間になり、愛煙家の二人は苦痛だったかな、とお見受けしましたが。

 ランチタイムの時間が過ぎ、もう客は私達だけ。店の旦那も板場からいなくなり、急にお女将の口が喋りだします。こちら3人は口を挟む気もなく、「ここの店だけが輸入ものの魚を扱わず、よその店は地元の魚を扱わない」聞こえましたがね。

 店を出て角店の干物店で、私達は今、能書きを聞かされたノルウェー産の鯖の干物、輸入ものだと聞かされた品物を買いました。どこの鯖でもサバは鯖、フランス語ならCA’VAどうってことはないさ!サバ ビヤンとでもいいましょうか。
 駐車場で、車のトランクを開け、生もの、干物は発泡スチロールの箱に氷と共に押し込みます。

つづく

2010年5月19日水曜日

観音崎より城ヶ島 第1回


 5月15日土曜の朝の7時、黒船屋を出発、Iさんの車です。運転の交代要員は勿論Tさん。三浦半島一周の日帰り気まま旅です。午前中なので横浜、横須賀をすどおりし、観音崎まで一息できました。
 駐車場に車を入れ、まずは浜で一休み。ここで、出会ったのが写真のアフリカ インコ。尻尾が赤く、言葉を理解しています。「握手!」と呼びかけると、私の手を軽く握ってくれましたよ。インコの連れのおじさん、晴れの日は、毎日ご出勤らしく、観光客の人気ものです。  

 さて、腰を上げ観音崎灯台の螺旋階段です。結構足早に上りましたね。見学を終えて、ここから先、ハンドルを握るのは、Tさんです。そろそろ腹も空きかげん、城が島へ向かいます。城が島大橋をくぐれば、寡っての名残の三崎を望み、島の街中に入りました。先ずは軽く何処かで休みたい。 でも、表通の呼び込みのある店は駄目といい、裏道を抜けみつけました。運転する人は飲んでは駄目、Iさんと私と二人でビールです。 つまみは自家製塩辛、これは美味い、と云うう代物でした。お土産に持ち帰れるか、と聞いた答えが又気に入りましたね。
 「お持ち帰りの時間が、二時間以内の方ならばお分けできます。」

 結局、買えずに店をでましたが、岩場の海辺で、焼トウモロコシを齧りながら、塩辛が頭から離れない。 
戻りの道もあの裏道を抜け、さっきの店に行き、中の娘さんに氷漬けにしてもらい買うことが出来ました。 

つづく

2010年2月17日水曜日

城之崎から伊根 四人旅 第2回 隠れ宿


一昨年行ったかみさんの隠れ宿
この舟屋、高みの山から望めば、憧れの北の日本海です。

観光されてない、ひっそり重く生きている姿に心を通わせる
人生の悲しい 
不可解な旅 
或る夕べ 
ある白雪
 
今年もまた来てしまいました。
でも、みんなは、私に蟹を食べさせる、そのことが目的。
宿の部屋も、今回は隙間風も、忍びこまず改築され温か。 
部屋も四人十分、楽に寝られました。  
セ ラヴィ !

2010年2月15日月曜日

城之崎から伊根 四人旅 第1回


 みぞれの降る城之崎駅から雪とは覚悟をしていたものの、この雨。
 情けない。空を見まわしても、荷物を提げ、傘をさしてバス通りを宿迄近いとはいえ、車を見つけるより仕方がありませんよね
 駅前の藤村の石碑。雨を避けるように屋根に寄り、句碑に目を通しました。夏七月八日の涼しい朝曇りの便りの一節でした。
 私達はうす曇る身体に沁入る北近畿タンゴ鉄道の観光ガイドブックに頼らずこの白樺派文人の集うこの城之崎の歴史と、私達の現代人との接点の共感を求め、「Middle of Nowhere」の多分に異邦人的な吾々の温泉旅行の出発点です。
 
 やっと車を拾い、但馬旅館の玄関先。宿に入るには時間が早いので、荷物だけを預け、宿の名前の入った番傘風の傘をかり、 チラチラ雪になりそうな空。
 バス通りは今、車の中から何となく覗きこんできたので、目指す方向は山裾の川の方と皆が漠然と歩いてしまうところが、このメンバーの 凄いところ。
 
 矢張り、流れる川の両サイドに、いろいろな風情の旅館街です。
先ず驚かされるのは表通りと違い、表門から玄関先迄の奥行の深さですね。川に沿って歩いているので、お互い二組で、写真を撮り、勝手に横町に入り込んで、姿が見えなくなっても心配はしませんよね。
 私は携帯での写真撮影なので、明暗もピンとも思うようには撮れません。川沿いの山裾は人も通らないけど寒さがきついですね。
 
 少しは明るく、温かい人どうりのある雰囲気を恋して、中通を抜けようと角を曲がると通りの看板に、「文芸館通り」の文字。勿論、ここに入り志賀直哉の「城之崎にて」を若い頃読み、一度はここに行くことをこの年迄望んでいた街。当時の教養で見えなかった喪は何か、何が私をここまでひっぱてきたもとは。
 中に入ろうと覗くと学生グル-プ達が揉めているのです。結局皆出てきてしまい、中に入ろうとするのは私達だけ。入場料大人六百円程。この値段で学生達が揉めていたのです。私も高いと感じます。東京ではこういう文化財の催しを、区、街が積極的に応援してますね。でも、ここは観光地、値段云々はやめときましょう。
 
 ガラス越しに白樺派の文人、歌人、詩人の十六人位は覚えていても、その外は覚えがありませんね。この時代のひとは筆法、それぞれ個性的なうえ、魅力的です。
 掛けてある軸も結構なのですが、下に並べられた小型本など、中身は無理でも、折に触れて館のパンフレトなどに紹介したら、と思いますが、私達が見回したところ・・・入場料は良くても、一つもパンフレトの類は見当たりませんでしたね。

 作者名 失念
 
 雪の城崎 
    あの子の 髪は溶ける沫雪   
                わがこころ


 そんな気分で、外に出ました。宿の夕飯迄、一時間一寸あります。
 お土産屋をのぞきながら、ふと、店の奥に紅い絨緞の甘味喫茶がありました。温かい飲み物の恋しく、靴を脱ぎ上がりこみました。のんべいの0さんが先ず、ゼンザイ と、叫けびます。後はみんな同じくです。
 回りを見回すと、壁面に美人画の版画を作って居た頃のあの懐かしい夢二のデザインの小布、江戸裾の、だれの花嫁衣装か、などが吊るされてあります。ついこないだ、東京某デパートで夢二回顧展を見てきた私。これも黒船屋の店の御縁でしょうか。
 宿に戻ろうと立ち上がりかけた時、うちのかみさんが、壁の一枚の美人画を指差し
「このモデルさん 日本人ではありませんね!着物の着付けが、左前!」
そう言えば、夢二はアメリカ サンフランシスコにいたそうでした。その時世話になってた家族のお孃さんと親しくなったと聞きますね。多分モデルは そのひと かもしれません。そんな話で解散しました。 
 結局其処の土産品を、持ち帰るお土産に買い漁りましたよ。
 昏い横町で藪椿と目が合いましたので。一句つくりましたので、御笑覧。

  
 昏ゆえ 藪の椿に 魅られけり

                       ノブ

2009年12月4日金曜日

スタンフォード -University Avenue-


スタンフォード界隈~カルチャーセンターを巡る~ 2009年11月
カリフォルニア州スタンフォード地域は、広大な草原と高原に囲まれた大学敷地と高級住宅街です。いつも日本からアメリカに渡ると、まず食べ物の選択に迷います。、シアトルの時もそうですが、大学近郊の学生たちの集まる店に行くことが多いです。気安く入れる値段で、味もあまり裏切られません。息子がワシントン州立大学にいた頃から、その思いが強いのです。

さて、スタンフォードの学生街はどうかと歩いてみました。お金持ちの子女が入る有名大学と聞きましたが、街並みも店並みも優雅で、男女の歩き連れも物静かな雰囲気です。まずはどこか、店に入ってみようと、娘と二人でケーキ屋さんに立ち寄ることにしました。あまり、甘すぎるケーキは御免で、パンケーキみたいなものをと思い、目でショーケースを追い、「あれ!」と娘に指差しました。飲み物はミルクティーです。奥に座っていた一人は、本を読んでいる男性、もう一人はもう食べ終わり、立ち上がろうとしているマダム風なおば様。ちょっと写真を取りたいと、携帯を向けて、娘に止められました。やはり人に勝手にカメラは向けてはだめですね。

ジャンコクトーの映画「オルフェ」のスローモーションで時間を通過する世界を感じます。娘に聞くところにより、ユニバーシティー通りを高速を挟んで反対側は危険なところだそう。「部落みたいなところ?」「そういうわけじゃないよ。こっち側とは生活のレベルが違って、ギャングが多いの。」と言われました。「橋を挟んで文化がまるで違うというのはどこの国にもあるね。」カリフォルニア、シリコンバレーは本で読んだことはあるけれど、なんか世界が違うところみだいですね。

2009年12月1日火曜日

ムッシュM先生 - 11月18日&19日のラスベガス旅行


ムッシュM先生
ベガスへの旅行をご手配頂き、有難うございました。快適なVoyageを楽しみました。サンフランシスコからのあのイギリスの飛行機会社が作った「バージンアメリカ」も快適に飛行してくれましたね。MGM Garndでのイリュージョンの世界、デビットカッパーフィールドの鮮やかな4次元空間世界は、スパニッシュ系の艶やかな観客女性に支えられ、見事なパフォーマンスで、やはり驚かされましたよ。

でも、カジノはベガスも不況らしく、懐が固く、なかなか遊ばせてはくれませんでした。いったんみんなで、部屋に戻りましたが、私はまだ悔しく「ちょっとカジノに下りるよ」とまたトムと出かけてしまいました。夜中の時間のほうがやはり人は多く、カジノも活気がありましたが、小額のお金で遊べそうなのは、スロットマシンしかありません。「勝負師としては、カードで!」という思いで、つい、空いている席に座ってしまいました。自分では、ブラックジャックの席に座ったつもりが、何かカードの配り方が違っています。私の席は最初の席なのです。まずカードが3枚伏せてまかれました。何をしていいか分かりません。女性のディーラーが指で「ここにチップを置くように」と仕草で教えてくれるます。テーブルの上に3箇所、円形の白い印があり、それがどうもチップを置くところみたいでした。最初の円の上にチップを置きゲームに参加できるようです。それからがまた分かりません。配られたカードを開こうとすると、手で止められてしまいました。みんなが揃ってからカードを手に取るようにと理解しました。チップを置く円がまだ2箇所。これはどうするの?と顔をしかめながらカードを開くと、カードはすでに配られた3枚で終わりみたい。私なりに理解し、手を見るとバラバラの手で、何をするか分かりませんが勝負にはならないと理解して、カードを開きDoneです。カードとチップはすぐディーラーが引き上げ、私の顔を見て、「日本人?」と「そうだよ」「英語分かるの?」「分からないよ」テーブルのほかの客も不思議そうにこちらを見ています。英語も分からない日本人がカードができるのかという顔でした。1、2回やっているうちに勝負師の勘が戻りました。まず参加料のチップを置き、カードをもらい、みんなが配り終えてからカードを開き、掛け金を置き、それから勝負の金額を吊り上げていくのです。つまり3枚カードのポーカーみたいなものでした。3枚でハイカードが1枚あれば、勝負が出来ます。数字が揃えばストレート、マークが揃えばフラッシュ。覚えてしまえば、いつの間にか勘が戻り、チップが山になってきました!

調子に乗って勝負をしているとトムが後ろに来て、もう止めて行こうというので、しぶしぶトムと部屋に戻りました。眠っている娘を起こし、勝ったお金を渡しましたよ。
こんな話ーなんの話にもなりませんね。

2009年11月28日土曜日

眩しみて 紫濃き花 ジャカランダ


眩しみて 紫濃き花 ジャカランダ
11月のサンフランシスコに来てみました。先ず夏の陽気みたいなのに当迷いましたが、東京みたいに湿度が高く無く、凌ぎよい気候。でも喉は乾き、あまり水分を取らない私がしきりに水をとりましたよ。通りは歩く人は見当たらず車が流れているだけ。でも歩道は広く並木の木陰で立ち止まり色々観賞したりします。夏の気分で緑の木陰ばかりと見ていると、あちらこちらに紫の花が咲くジャカランダの木が目立ちます。その木を近く迄寄って見に行くと秋なので、種がなっていました。素晴らしい紫の花をつける大木。日本ではお目にかかれない花。それがジャカランタです。6月に撮った写真を見てください。
(注)ジャカランダ:南米原産の世界3大花木のひとつ。

北カリフォルニア ハーフムーンベイ


2009年11月14日
ハーフムーンベイの桟橋を蟹漁船を追い求め、よく走り回ったね。
パパはお前と一緒にいるのがうれしくて。。。
ほら、日が西に傾く頃、桟橋の先端で、倉庫にいる人が蟹を船から引き揚げている場所を見つけたんだ。

怖そうに見えたおじさんだけど、お前が蟹を売ってもらえるか交渉してたら、
売ってくれるような事を。ところが、私達の後ろに、いつの間にか、何十人もの行列が出来てしまった。

それを見て、おじさんはみんなに「蟹は売らないよ!」と追い払っています。
私達はションボリ。それでも「さっき約束したからきっと...」と心細く待ったものでした。
私達は日本人、「もしかしたら?」と思っているのだけれど、なんだか私達をも寄せ付けてくれません。

そんな時、後ろから白人夫婦が(多分、英国人だと思うのだけれど)歩いて来ました。
女性も素敵でしたが、男性は長い高級マフラーを格好よく投げたらし、
やはり英国のダンディーだなと思ったりしていました。
むこうは夫婦、私達は親子だと、負けずに素敵に見えるはず。

再度、おじさんに蟹を売って欲しいのだけれど、と頼んで見たものの、結局買うことはできませんでした。
「カモメよ、蟹漁船が入ってくるのを教えておくれ!」

一緒に来たトムの友人達は、港のレストランに入り込んで、蟹のことも、私達のことも、心配することもなく、飲んだり食べたりしていました。
お前はトムを呼び、蟹を買いに言ってくれるよう、引っ張り出していました。
連れのもう一人の女性は神戸出身の気が強く、「あそこに行ったら脅かさなくちゃ買えないよ」とトムに。彼女は、「私達はお腹を減らし、走り回っていたのに、そっちは店の中で暖をとり、飲んでいるんだから!」と怒っていたのです。

待つこと数分。トムはお前に教えられた倉庫に行き、簡単に生きた蟹をゲットしてきました!
お前が驚いてどうやって買ったのか聞くと、働いているおじさん達ににタバコを出して、「タバコを吸うかい?」と聞くと嬉しそうにタバコを受け取り、あっさりと、売ってくれたそう。

日本では、こんなことを「餅屋は餅屋」と言いますね。
お前には男にタバコを差し出すテクニックは場違いだね。それはトムにしか出来ない技でした。

もう空は暗く、風も冷たく、一路帰路に向かっています。