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2011年11月11日金曜日

秋薔薇


 秋薔薇 拡げて 魅せる 裸身 朽ち

 ある日が好きだ

 過去 未来を 時 と言う空間にある ある日

 借命の暇にも 咲いたバラの花

 それが 確実な 現在 だ

               ノブ

2011年8月21日日曜日

南高橋のいちじく


 南高橋になっているいちじく。
「無花果」 「映日果」 と 書く不思議な字です。

 キリストが暑い砂漠を弟子をつれ旅の途中、ふと見つけたこの木。葉だけは青々しているのに実一つありません。イエスは嘆き、以後、この木には 花は咲かなくても構わない!
 イエスに呪われたいちじく。漢字にはそんな意味が入っているのでしょうか?

   いちじく の花はしらずも 夏の果て       ノブ                                   

2011年4月30日土曜日

我が家のつる薔薇

春霞 青葉隠れに 翔ぶは蝶

2010年10月11日月曜日

伊豆 日帰り旅行 その2 河津バガテル公園


此の公園は、パリのバカデル公園を忠実に再現したフランス的なBagatelleな小路に導かれ、多くのアーチに囲まれたローズガーデンです。
 バガテルとは、フランス語で「小さく愛らしいもの」を意味します。

 東屋、レストランに入ると、入口に、こんな意味のスタンプが有りました。スタンプには黒猫が尻尾を高く上げた真横向きの猫。 

 Etre pas volert par et chemine. Merci Boucoud !

「採っては 駄目よ、路に沿って 行ってね!」

 Merci Beacoud! Mon Amies!

秋薔薇は、もう冬薔薇に近く花弁も衰え、でも枝ぶり、緑の葉はこんなに親しく見られたのは貴重な体験と、ママは喜んでいましたよ。

 お昼はモネゆかりの睡蓮の池のほとりのレストランで食事。四人それぞれ勝手なものを注文。私はカレーがとても気に入った味、サフランの黄色い、久しぶり目にする、カレーライスでしたよ。 

 改めて、Iご夫妻、ありがとう!お風呂もよかったです。

 薔薇の視る 地平は昏き 夜明かな

ノブ

2010年9月22日水曜日

仲秋の月


 
 夜中、蟷螂を探しに外に出たら、薔薇の枝に羽根を畳んで眠りについている蝶を見つけました。

 私も寝ます。
 オヤスミ。

 仲秋 の月
 蝶の翅 たためば花 也 新月の宵
                      ノブ

2010年9月2日木曜日

蟷螂 カマキリ



 

 
 
 
 
どこからか蟷螂がやってきました。
 まだ若い蟷螂ですね。この薔薇の木の下に昔、私がデッサンをしました蟷螂が埋められています。
 それで挨拶に来てくれたのかもしれませんね。

 イカルスの蟷螂 秋をはぐれたる 
 薔薇の木に 蟷螂 来たり 二百十日  ノブ
 

2010年8月27日金曜日


桃一果 転がる 夜の忸暑 かな

美味しい桃を頂きました。ご馳走様でした。

2010年8月12日木曜日

画集のお礼


 画集を配布させて頂きたいと考えていました皆様に、なんの拘りもなく配布出来ましたことを感謝しております。皆様の目線を通して私自信、絵に対する姿勢をハッキリ見極めることが出来ました。
 やっと、絵画的事実というところにたどり着けるという自信を持つことが出来き、この年齢に近づけましたことのは、ひとえに皆様ご支援のたまものと感謝しております。有り難うございました。
                                        ノブ

2010年5月25日火曜日

マネとモダンパリ


 マネ回顧展、行ってきました。やはり ベルト モリズの絵がなんど見ても飽きません。黒の使い方が勉強になりましたよ。
 昔こんな句を作りましたね。

 喪の花の リラ胸に抱く マネの絵  ノブ
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 「今年4月に東京・丸の内にオープンした三菱一号館美術館の開館記念展となる本展は、マネの芸術の全貌を、当時のパリが都市として変貌していく様子と結びつけながら、代表的作品により展覧しようとするもので、マネの油彩、素描、版画80点余が出品されます。また、同時代の作家たちの油彩、建築素描、彫刻、写真など約80点もあわせて展示し、マネが生きたパリの芸術的な背景も紹介します。日本でマネの作品をまとまった形で見ることができる貴重な機会です。」

期間: 2010年4月6日~7月25日
会場:三菱一号館美術館
(東京都千代田区丸の内2-6-2)
問合せ先:03-5777-8600
休館:月曜日
http://mimt.jp/manet/index.html

2010年5月7日金曜日

ちょっと一句

目差しや 自ら 解く 白の薔薇

2010年3月22日月曜日

貴女への弔歌


 たまたま新聞の訃報で知りました。
 
 畑中更予さんに初めてお目にかかりましたのは、私がまだ三十歳頃、アテネフランセに通学していた頃、同じ教室の女性、Mさんがそのきっかけを作りました。その女性Mさんは中学の絵の教師。私より一つ二つ上の家柄を思わせる上品な、私にとって初めて知る年上の女でした。畑中更予さんのお話をするには、どうしてもここを通らなければなりません。 

 御存じのように、畑中ご夫妻はオペラ歌手でいらっしゃいます。お住まいは当時荻窪にありました。Mさんとも同じ中央線ですので、私とは何時も一緒に帰る仲。新宿は何時も二人で歩くpromenade、何を喋っても飽きず、休む店は、新宿風月堂、中村屋、長引く時はクラッシック喫茶でしたね。たまに、伝票が見当たらないとレジで言われました。「お隣の方がお支払いにならましたが。」

 そんな年月のある日、私はMさんの家に招待されました。家の場所は、勿論夜遅くなればその前迄送るのですからよく承知しています。彼女の母の品定め、と云うか、年下の画学生みたいな若者が、何処まで、何を考え我が家の娘が、亦、情けない!と、思いがあった事と思います。

 たまたまそのお屋敷で紹介されました。Mさんの家を半分お借りになっていらしゃる畑中更予夫人との出会いなのでした。

 しなやかな肢体、大人の雰囲気をさりげなく身に付けた動作。矢張り何者かと思わせるものは、芸術家ならではあらわせないお人ですね。

 そのころ、私達仲間、同年代で、毎月何らかの作品を持ち寄って一冊の文集と云うか、絵、詩などをまとめた小冊子を回覧していました。それに載せました私の詩を大変気に入ってもらいまして、そこで3人で、詩人の話で盛り上がり、それから、リルケの話に、彼女はため息をつくほどの熱のいれかたでした。私もリルケの窓は、絶品です。それに堀辰雄の日本語役は傑作だとおもいます。

 そんな彼女のために「オッフェリヤ」と云う詩を書きました。どなたかにお渡ししたか、何回目かにあの広間で会ったは知りません。でも、その詩は読んでいただけました。 更予さんが、「この詩私に下さい。」と、云ってくれました。嬉しかったですね。

 でも私、その詩はもう覚えていないのです。わずかに、記憶に残る、最後のフレーズはこんな風に書いたように思います。
    
 更予さん、貴女への弔歌です。

 「流れていけ テームズ川よ アナタの歌声が 消えるまで

  歌声が アナタの歌声が 私の胸に流れるならば」

   
                                         ノブ

2010年3月11日木曜日

蒼い林檎


勝実さま

 貴方達と渋谷の道玄坂 丸山町のお婆さんが一人でいるミルクホールで、
何となく四、五人集まり「青山文学」という同人雑誌を作る編集会議をしましたね。
三号雑誌迄、だしましたっけ。

 あの時、貴方が編集長。私は頼まれて一号誌にカットと詩を載せたようにも思いますが、あの「青山文学」は何処に行ったのでしょう。あの頃が、青春? 文学に熱中、モーツアルトのト短調シンフォニーに惹きこまれ、熱に浮かされ街を彷徨い歩いた時代。懐かしい!

 この歳になり、昔から絵画一筋に、今も個展の案内をくれる、ある女性。
会うのが、複雑な思いで、こんな文章を送りました。
       
 「ジョイスの、ブルックリンの港湾人足の喧騒、
エリオットの荒地第二部
テームズ河の界隈の下町
共通する卑猥さの中に人間関係を、グロテクスの血を流すことによって、
繋ぎとめようとする。
 千葉に十五年住んでみて、卑猥さだけが、人間関係を保つ方法だ。」

と、書いたことがありましたね。

 近頃、マチスの画集を開き、思い出すのですが、「戦後」の荒廃した中で、
当時こんなにも透明な世界があったのかと、ヨーロッパの文明に憧れました。
それなのに今、私の中にあのグロテクスな悼みも、マチスの色彩も、強く心に跳ね返る力で、迫って来ないのは何故だろうー。
 蒼白なセザンヌの林檎だけが、昔と同じように気になるだけです。

 嗚呼、滑稽なことに「人間は考える葦」にすぎないのだ。
カント哲学「我思う故にわれ在り」のパスカル的逆説ですね。

やよ蒼き魔女 恋しかり 冬薔薇
                          ノブ                              

2010年3月4日木曜日

文通


The 黒船屋さま

 桜咲いたと都の便りなど名文句がありますが、杖を挽く身には遠い話です。
年寄れば桜咲くのも小煩き
という一休の句の方が愉快です。
 昔は
葉桜や傘で戻りし広小路
と粋になったこともございます。
 複活して来ましたら、またお便りいたします。

Hさま
 一度もお会いできず、もう昔からのお付き合いのように
文通だけでの未だ私の知らない時代が、偲ばれます。
 今は旦那さまと俳句などの交換をさせて戴いております。
               
 -悼む Hさま
 儚儚の夢も重なる冬の雨  
                    ノブ

2010年2月25日木曜日

千鳥ヶ淵の花椿


松尾芭蕉
落ざまに 水こぼしけり 花椿

ママ
椿の花は一般的に葉っぱの下に地面に下向きに咲きます。冬の寒さから身を守るため。散歩中に見つけたこの椿の花は珍しく上向き。花が散る時は花ごとポタリと落ちるので芭蕉の俳句が理解できますね。


マスター
皇居前、千鳥ヶ淵を散策中、芭蕉の 初めて知るこの句 。素敵な読み人知らずとも、現代に花咲く一句だと思いました。

2010年2月18日木曜日

桃の節句


K2画伯さん

 お孫さんの桃の節句にお行きになる三月三日の雛祭り。
K2画伯の顔が緩んでくる様子が、スカイプがなくても見え見えですね。
 私はまだジジ、ババの世界は知りません。でも、先生と違って甘酒は好きですよ。白酒を飲まされて、困惑していらっしゃる姿も楽しいですね。

 三月三日、K2画伯一家に乾杯!
 お嬢さんのデザイン センスに乾杯!
 お酒の苦手な御主人に、よろしく乾杯!

 下町の 路地にも光る 桃一輪                                                ノブ

2010年2月15日月曜日

城之崎から伊根 四人旅 第1回


 みぞれの降る城之崎駅から雪とは覚悟をしていたものの、この雨。
 情けない。空を見まわしても、荷物を提げ、傘をさしてバス通りを宿迄近いとはいえ、車を見つけるより仕方がありませんよね
 駅前の藤村の石碑。雨を避けるように屋根に寄り、句碑に目を通しました。夏七月八日の涼しい朝曇りの便りの一節でした。
 私達はうす曇る身体に沁入る北近畿タンゴ鉄道の観光ガイドブックに頼らずこの白樺派文人の集うこの城之崎の歴史と、私達の現代人との接点の共感を求め、「Middle of Nowhere」の多分に異邦人的な吾々の温泉旅行の出発点です。
 
 やっと車を拾い、但馬旅館の玄関先。宿に入るには時間が早いので、荷物だけを預け、宿の名前の入った番傘風の傘をかり、 チラチラ雪になりそうな空。
 バス通りは今、車の中から何となく覗きこんできたので、目指す方向は山裾の川の方と皆が漠然と歩いてしまうところが、このメンバーの 凄いところ。
 
 矢張り、流れる川の両サイドに、いろいろな風情の旅館街です。
先ず驚かされるのは表通りと違い、表門から玄関先迄の奥行の深さですね。川に沿って歩いているので、お互い二組で、写真を撮り、勝手に横町に入り込んで、姿が見えなくなっても心配はしませんよね。
 私は携帯での写真撮影なので、明暗もピンとも思うようには撮れません。川沿いの山裾は人も通らないけど寒さがきついですね。
 
 少しは明るく、温かい人どうりのある雰囲気を恋して、中通を抜けようと角を曲がると通りの看板に、「文芸館通り」の文字。勿論、ここに入り志賀直哉の「城之崎にて」を若い頃読み、一度はここに行くことをこの年迄望んでいた街。当時の教養で見えなかった喪は何か、何が私をここまでひっぱてきたもとは。
 中に入ろうと覗くと学生グル-プ達が揉めているのです。結局皆出てきてしまい、中に入ろうとするのは私達だけ。入場料大人六百円程。この値段で学生達が揉めていたのです。私も高いと感じます。東京ではこういう文化財の催しを、区、街が積極的に応援してますね。でも、ここは観光地、値段云々はやめときましょう。
 
 ガラス越しに白樺派の文人、歌人、詩人の十六人位は覚えていても、その外は覚えがありませんね。この時代のひとは筆法、それぞれ個性的なうえ、魅力的です。
 掛けてある軸も結構なのですが、下に並べられた小型本など、中身は無理でも、折に触れて館のパンフレトなどに紹介したら、と思いますが、私達が見回したところ・・・入場料は良くても、一つもパンフレトの類は見当たりませんでしたね。

 作者名 失念
 
 雪の城崎 
    あの子の 髪は溶ける沫雪   
                わがこころ


 そんな気分で、外に出ました。宿の夕飯迄、一時間一寸あります。
 お土産屋をのぞきながら、ふと、店の奥に紅い絨緞の甘味喫茶がありました。温かい飲み物の恋しく、靴を脱ぎ上がりこみました。のんべいの0さんが先ず、ゼンザイ と、叫けびます。後はみんな同じくです。
 回りを見回すと、壁面に美人画の版画を作って居た頃のあの懐かしい夢二のデザインの小布、江戸裾の、だれの花嫁衣装か、などが吊るされてあります。ついこないだ、東京某デパートで夢二回顧展を見てきた私。これも黒船屋の店の御縁でしょうか。
 宿に戻ろうと立ち上がりかけた時、うちのかみさんが、壁の一枚の美人画を指差し
「このモデルさん 日本人ではありませんね!着物の着付けが、左前!」
そう言えば、夢二はアメリカ サンフランシスコにいたそうでした。その時世話になってた家族のお孃さんと親しくなったと聞きますね。多分モデルは そのひと かもしれません。そんな話で解散しました。 
 結局其処の土産品を、持ち帰るお土産に買い漁りましたよ。
 昏い横町で藪椿と目が合いましたので。一句つくりましたので、御笑覧。

  
 昏ゆえ 藪の椿に 魅られけり

                       ノブ

2010年2月7日日曜日

春はそこまで


 娘から送られた写真。事務所の先生が、サンタクララで昼メシ時にお撮りになったポーズが目に浮かびますよ。でも これ、桜ではありませんね。桜は花が咲き、その後、葉が伸びて、それから、葉桜です。サンフランシスコの陽気でも、ちょっと無理ではありませんか。冬桜もありますが、こんな大木は知りません。花木に詳しいママによれば「ズミ」の花ではないかとのことです。
 花は春を呼び 小鳥達は葉隠れに恋心を囁く
素敵ですね!

鈴鳴らす 路加病院の 待つ春は 貴方の胸に咲く桜    ノブ

2010年1月27日水曜日

北条秀司の句碑にて


 北条秀司の句碑 
 「雪ふれば 佃は古き 江戸の島」   
 新橋演舞場で演じられた「佃の渡し」の最終公演を終え、この碑の立ち上げに二人して出向かれたと聞きます。如何にも劇作家らしい句。みなさん御承知のことと思います。

 私の店にかけてある 五所平之助の句、映画監督であり、春灯を主催しました久保田万太郎氏などと活躍しました俳人、この句も如何にも、映画監督と思わせる作品です。

 私の兄が、東宝映画時代から助監督をしておりましたので、開店のお祝いにいただいた作品、その時先生は私にこう聞いたのでした。 
「どういう俳句が欲しいですか?」
私は躊躇いはありません。「黒船屋」と屋号を付けた以上、答えは、大正ロマンの雰囲気のある句が欲しい。先生は開店にあわせてご自分で板に漆を塗り、黒地に白で書いていただいた句。カメラから覗いたワンカットそのままの俳句です。

「ふる雪が 別るるひとの  瞳にも降る」 平之助

五所亭さん。活動屋という人種の仲間は、こんな呼び方をしますね。
 平之助さんは、「一寸何か書くものない?」と、色紙でなくても気楽に句をお書きになり、署名は五と云う字がお好きで、色々な形で丁寧な署名を入れられました。
  
 私が北条さんの句碑の前に立って、この二つの句を紹介したくなる気持ちが多分分かっていただけたものと思います。 
 五所さん、アデイユー ボンボアイヤージュ! では、さよう、ならば! 
 
 私の店から、佃島、ああ、もう島ではありませんよね。歩いて橋二つ渡れば二、三十分で戻れます。普段の日でも、ある晴れた日でも気持ちの揺れるままに歩るいてきます。佃大橋から回るか中央大橋から出かけるか、陽がまだ西に傾かなければ、中央大橋です。
 
 佃大橋からの階段を登る際、目に着くのが佃の渡しの跡を記した記念碑です。これを横目でちらっと、捨て目を遣い橋桁を登ります。ふと、思うのです。
「渡し船が有る島なら島のどこかに、渡船宿が何処かにあっても可笑しくはないはず。」
たまたま、今日、身体のバネが良いので、町の周辺を当てもなく歩きました。でも、ない!ないのですね。

 家に戻り、下町育ちの家内に尋ねました。答えは簡単明瞭でしたね。云うには、 
「佃は流人を寄場人足として流した場所でしょう。旅館なんか有るわけないでしょう。」
 なるほど、でも釈然としません。新派でも、映画でも、島に渡り愛人同士が悪天候のため、船が出ず、宿に泊りこむはめになるストーリー。あれはやはり映画の話なのか?でも石川島はそうでも、佃職人がいた町には旅人宿位有る筈だと思うのですが。サンフランシスコのアルカトラスの監獄みたいな、島なら別だけどさ

2010年1月23日土曜日

夢二 黒船屋


娘がまだ中学生の頃、夢ニの黒船屋の絵を見て、
「この黒猫と着物の黄色が素敵。」
と言いました。
「この着物は黄八丈といって、冬に咲く石路(ツワブキ)の花の色みたいで、パパの好きな色なんだ。」
と答えると娘に
「石路<ツワ>なんて、知らない。」
と言われたことがありましたね。

          黄八丈 知らぬ娘や 石路の花                                                        ノブ

2010年1月16日土曜日

谷中坂上一丁目


 こぶしの咲く頃に、谷中方面に出かけることになります。
入谷のお寺に私の墓があり、毎年自分で墓地料を収めに行くのです。

 何時も上野の森の音楽学校の裏を抜け、谷中、下谷、入谷と歩きます。
「***寺」と云うお寺が坂の上にあるのですが、勿論こんな立派なお寺は私のお寺ではありません。
若い頃、ここのお寺の三人娘の一人と駆け落ちみたいにして、千葉の港町まで逃げた事がありました。

日の長くなった坂道を下りながら、線香の香に、ふと昔の自分が立ち止まっている思いになります。
   
  めぐりあう 坂一目散 遅日果て
                         ノブ