私の通い始めたフランス語教室は、
早稲田大学ハ町堀校。
定員20名。
フランス語学習経験者なら参加可。
初心者向けの教科書使用。
と有り、気楽に籍を置きました。毎週月曜日、昼1時半から3時迄。
でも、この2時間近い間、トイレの近い老人は悩むのです。でも、これは家内の助言で解決しました。
この他にもう一つ困ったことがあるのです。それは、私の机の位置を黒板に向かって左側に決めた事です。エリアナ先生は私の年を知ってからは、よく私に気を使ってくれます。
私の前に座っているだいぶ親しくなった相棒「コパン」は、コーヒー屋で若干焼きもち気味?にこんなことを言うのですよ。
「エリアナ先生は大抵、何時も堀江さんの顔の方をみて話してるよ。」
「それはね、皆さんノートをとるから下ばかり見てるけど僕はノートを取らない主義だからさ。」
先生は右側の人から順に教科書の質問を答えさせていくのですが、私にはことに女性の発音しているフランス語が聞き取れないのです。右側の耳が殆ど聴力がないのです。左だけでも日常生活に困らない程度です。そこで、何時も相棒の彼に聞きます。
「今、何行目?」
先生も私の顔を見て、「貴方の番ですよ。」と目で呼びかけます。でも、何行目か私は分からず違う行の答えを言いかけると、すぐ、先生は私の席迄降りて来てくれます。そしてペンの先で行をおさえ、目を見合わせます。私が答え終わると、 「ビヤン」と手を挙げながら、黒板に解答をかきはじめるのです。86歳の老人だもん!気にしてくれているのだと思います。
そんな先生に1月の最初の授業の時、私はお歳暮のつもりで青柳のケーキを箱に入れ教室に持ち込みました。さて、どう渡すか、、、それが問題。
「ボンジュウール サヴア ヴィアン !」
ドアーを開け、部屋に肩が入ると同時に声が掛かります。生徒が顔を上げ、慌てて叫びます。
「ウイ サヴァ ヴィアン マダム!ボンジュウール」
生徒は、それぞれ、それとなく今日の先生の機嫌がいいぞ。または今日は文法でしぼられぞなどと思っているのです。
教壇に上がった先生はカバンから何やら取り出しました。何やらのプリントの束。それを机の間をぬうように、一人ひとりに渡して歩いてきます。私は机の端に目立つように青柳の包装紙を置き、少し身体を開き待ち構えます。先生はプリントを渡しながら、その紙包みを手にとっています。目が合います。「メルシィー」言葉は要らないのです。こちらも何も言いません。目と指先を開いただけ。
そして先週は新学期前の最後の授業です。今回の贈り物は千挽屋と決めていました。そして私の詩人としてのプライドはその贈り物にフランス語で詩の一行を書き添える事です。これはフランス語としての誤りはあったとしても、この数行の詩は私のフランス文化に対する挑戦なのです。
C' est que
personnes agees
santiment !
C 'est pour Rien
NOBU
2012年2月23日木曜日
黒船屋の解体工事 その2
私達夫婦が店をもったのは、下町、鉄砲州は隅田川を歩いて10分位の所謂、下町路地裏、3軒長屋にはさまった殆ど人通りのない、夜は明かりの付かない、老人が住む暗い町内でした。
解体工事は進み、看板は取り外され、「The 黒船屋一代」のTheもいらなくなりました。常連の皆様がご覧になったら、なんと、ナントでしょう。
なんとといえば、「ナント」の詩、以前ブログで紹介しましたよね。
今、それを読み返し、その町のグラジュウ―ル 街25番地は私達の当時 隅田川 リーバー サイド バンテアン21と呼ばれた 開発時代を偲ばせます。
ナントに雨が降る
忘れはしない
ナントの空は 心を滅入らせる
私は 往年の若かりし時代
よく 溜め息混りに口を付いて出る
こんな 言葉を 思い出すのですが!
「嗚呼 なんと ね!」
話は変わって今、私はフランス語教室に毎週一回通っています。
まだ半年位になりますが、若い人に交じり、勿論、私が最高齢者86才の初心者。耳もよく聞き取れません(笑)男生徒は3人、殆ど女性が占めます。それでも教室の帰りに他の生徒とお茶を飲みに行く仲になりましたよ。
勉強は人知れず苦労の連続。娘からもらった文法の本を片手に宿題と格闘です。
そして、先日、教室でフランスへの旅行の話になりました。それぞれ皆さん有名な避暑地の方を口にします。
そして私の番です。思いつかないまま、つい口について出た土地名が「ナント」でした。ブランス語教師は女性で、このシャンソンをご存じで、直ぐ、「バルバラの歌っている曲ですね。」と口添えしてくれましたよ。
「マダム、どうか グランジュウル、街25番地にお越しになって下さいませんか!
彼は もう短い命! 貴女に 一目とそれが希みなのです!」
これが私にとりついた「ナント」の地名です。
2012年1月13日金曜日
黒船屋の解体工事
いよいよそれぞれの想いの染み込んだお店の解体工事が始まりました。長い間のようで短くもあった35年間でした。これからの年金生活はつつましく、ひっそりとした日々となります。 ママ
解体工事が始まり、1階はほとんど解体され剥き出しになり、今は電気、水道の整備中です。外に出るにも、階段から靴を履かなければ抜けられません。埃と木屑の山を通り抜けるからです。東京も寒くなり、雪が降るとか。寒いのは苦手だけど、風邪をひかずに元気にフランス語の学校、ヨガと行っています。
解体中の写真を拡大してみるとなかなか素敵。カンウターを少し奥へ引っ込めさせますから、店は少しゆったりするとおもいます。
入口に和風の引き戸が、懐かしい日本を蘇らせるでしょう。
大和は 国のまほろば
たたなずく 大和し うるわし
私が軍に召集された時、障子に陰を落とす松の影を見ながら、
「誰のために 戦争に行くのではない。
この、まほろばの国を護るため。
天皇の為ではない。」
と固く決意したことを思い出しました。
「ザ黒船屋 一代」 「ザ」がなければ、野良猫でも黒猫でも構わない思い出を作った店でした。
みなさん、ありがとう。
マスター
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