2010年7月28日水曜日

Vienna ウィーン旅行


 若い時、熱にうなさられたように、オスカーワイルドの刺激的言葉の虜 になっていました私は、この歳になって初めてオーストリアにやってきました。ハプスグルグ家がマジゃール貴族と妥協し、1867年ハンガリー大国の建設を認め、国君連合 、オーストリア皇帝がハンガリー王を兼ねることに成立しました二重帝国です。

 私のヨーロッパのイメージはあの世紀末のアート、文学。勿論、音楽はやはり、あのベートーベンもウィーンで逢うのも恐れたモーツァルトが主流でしたね。ベートーベンがウィーンに来た時は、すでにモーツァルトは他界して居たそうです。

 ステファン大寺院、女帝マリア テレジアの夏の離宮。華麗なるロココ調のボヘミアンスタイル。快楽と哀愁に、霧のような吐息。そこで何が行われていたのか。

 「上流社会を飾る芸術は、下層階級に巣食う犯罪に似ている。
  芸実も犯罪も、どちらも異常な官能を刺激するところが似ている。」

 石畳の裏路のすき間にはまだ前世期の馬車道、ひずめの脚跡を覗き見してきました。

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