2010年8月27日金曜日


桃一果 転がる 夜の忸暑 かな

美味しい桃を頂きました。ご馳走様でした。

2010年8月25日水曜日

ウィーン旅行より 第3回 迷宮のシェーンブルン宮殿


 ウィーンの誇る世界遺産、シェーンブルン宮殿を歩きました。宮殿内部のいたる処にはめこめられた壁面の絵画、天井画、彫刻、ロココ様式を残した部屋、部屋、部屋。会場を埋める観光客の頭越しに私はこの近づき難い部屋の雰囲気に浸るのが精一杯でしたね。
 次の部屋、又、次の部屋と彷徨う迷宮の会場内部。普段の展覧会場なら、自分の見たいと思う一点に絞って、それを見て満足出来るのですが、ここではそういうわけにはいきません。ガイドの案内に足を運ばせるだけですから。

 さて、最後はいよいお楽しみのシェーンブルン宮殿のマリオネット劇場・・と書き始めましたら、細君からストップがかかりました。私がこれから書くこの劇場は勘違いでシェーンブルンの劇場ではありませんよ、と言われてしまいました。
 はて、それなら何処の劇場なの?申し訳ないのですが、其処がどこだったか四人とも覚えていません。ウィーンと云う街は何処を歩いても白と灰色の尖塔に囲まれ、由緒ある時代をあらわしています。最後の結論は、今度はもう一度ウィーンだけ二、三泊の旅行を試みよう、なーんて笑い話で終わりです。

 でも、其の場所、名前は分からなくても、現実に見たことは夢ではありません。其の劇場の舞台から五、六列目の中央に四人揃って座れたのですから。
 
 舞台は、弦楽器が二つ、コントラバス バヨオリン、四人位いたかしら。流れた曲目は歌曲ではありませんでした。あの「美しき蒼きドナウ」後ろの席で、ここはオペラではないのか?とブーイングと云うわけでもないのだけれど、戸惑った感じがありましたね。

 デモ演奏も適当に終わらせ、ステージに現れたテノール歌手オペラの一場面です。声に呼び寄せられるように、舞台の袖から現れる妖艶な美女と云う設定ですね。華やかな歌の掛けあいから、ラストのソプラノの悲痛な叫び、男のなおも、愛を追い求める激しい手の動き、女は打ち伏せるように楽屋え消える。
 
 これからが、この劇場の本番。舞台も広がるように、楽器類、マイクなど、袖口の奥に目立たなくセットし直しされました。舞台の周りは薄暗く、中央は円を描くように照明されてます。
 客席の暗がりが急にざわめきます。一人の男が背中に等身大の人形を軽々と背負い、舞台の階段を駆け上がり人形を抱きかかえ、お客に向い挨拶をさせます。ところが、人形が男の手が離れると、もろくも、くずれてしまいました。仕方なく、男は舞台の裾に身をひそめていた楽師に音楽をと、サインを送ります。

 すると、どうでしょう!音楽の流れに身を任せ、人形は踊り始めたではありませんか!男と二人で蝶が絡み合うように歌を歌い、素敵な舞踊をみせてくれます。そして、これはモーツアールトの歌劇<魔笛>です。
 終幕近く二人の掛け合いの言葉<パ、パ、バーパパゲーノ> <パ、パ、パーパパゲーナ>でも、所詮は人形。男が手を差し伸ばしても、もう脚を上げる気力もありません。男は抱きかかえ、もう一度ネジを巻くのですが、彼女は立ったまま動きません。無理に引き寄せようとした時、人形の手が不意に男の頬を思い切りひっぱたいて、彼女は倒れてしまいます。

 言葉で書くと、こんな紙芝居になりますが、発声も、踊りも プロ級でしたよ。昔は本当の人形劇、とか 子供が怖がるギニョウル劇を見せるところも有ったと聞きます。私は充分楽しめました。
 しかし、この劇場はどこだっだのでしょう。ご存知の方、いらっしゃいますか? 
 

2010年8月20日金曜日

ウィーン旅行より 第2回 ボードレール


 I君とはその後半月以上、お互い音信不通の状態のままになっていましたね。
 其の後、OH、HOW DID IT GO!

 彼と私には、フランスの詩人「ボードレール」に共感関係がありました。私はボードレールの「悪の華」見出しの前書「読者に~」を、W大の文学部にいたもう一人の友人T君に
「これ訳してみないか?卒論に必要なんだ。」
 と持ちかけられ、原稿用紙1枚位ならと、取り組む事にしました。
 単語は辞書を引けば済むけれど、文の脈絡も理解出来ず、単語を並べ睨めっこです。後は自分の頭の中で、詩を作り上げる作業。
 訳詩が有る筈だからと私は神田の古本屋を歩き周りましたよ!立ち読みは、新宿紀伊国屋で何時間でも慣れていましたので、メモを取ることが苦手な私は「記憶する」というより「理解して来る」ことに腐心しましたね。
 でも、其の訳を読んでも、何処がこれが名訳なのか、この中の何処にボードレールが居るのか分かりませんでしたね。ことに、最後の読者に呼びかける語彙の貧しさ、言い回しには唖然とします。
 最後の読者への呼びかけの言葉、

「おお、お前達 この偽善者な読者よ」
  
私の言い回しと並べれば、こうも違います。

「おお!君たち、この猫被りの諸君よ!」 

この様な文体で、私は彼に手渡し凄く喜ばれましたよ。 

 Aimer a loisir   気まぐれな 旅への 誘い
 Aimer et mourir    愛 も 死も
 Au pays qui te ressemble! 其れも 似たような 裏 表 さ


 I君の心の葛藤も、このボードレールのこの詩が物語る何か哀しみが疾走していた筈。
 二百十日の過ぎた秋口の避暑地の海辺、あの海の見張りやぐらも取り外され、海の家もなくなり淋しさは、打ち上げられたあれら大木の虚しさ。I君は江の島の浜辺で、ざわめきの消えた枕木に身を寄せ・・・・
 これも若き日のウェルテルの哀しみの一ぺ―ジ。 

つづく

2010年8月18日水曜日

ウィーン旅行より 第1回 オペラ座とモーツアルト


 ウィーンのオペラ座と楽友協会に私を連れていく?頭の中には毎年のニューイヤーコンサートは、この楽友協会のホールで演奏されると云う聞き覚えがあるだけです。 

 話を聞き始めると、ここオペラ座は、国立歌劇場。モーツアルトのいたころは宮廷歌劇場だったわけで、モーツアルトがウィーンで活躍したのは、200年程前ですね。当時は宮廷楽師としての地位がなければ、貴族、セレブの援助を受けることが難しい階級制度がありました。
 モーツアルトは若い時から、宮廷の大司教コロレド聖職者の、親密な保護が有ったと聞きます。ウィーンでの宮仕えの虚しさ。宮廷音楽に満足することができなくなた彼は不意に故郷のザルツブルグの我が家の部屋で、初めての短調、あの25番のシンフォニーK183を作曲したのでした。

 時代の波は旧交響曲の流れに若さと新しさを求め「疾風怒涛運動交響曲」はウィーンを中心にあの有名な大詩人ゲーテ、「ギョーテとは俺のことかとゲーテ言い」が音頭を取ったそう。

 モーツアルトはこのト短調シンフォニーを手に、1773年秋、また宮廷楽師としての職務に戻るのです。この運動は諸国に身をひそめている音楽家も、容易にウイーンに近づかせなくし、あのベートーベンでさえ、モーツアルトのいるウーインには脚を伸ばすことを、躊躇った聞きます。

 私が初めて、このト短調シンフォニーを聞いたきっかけは、戦後の二十歳代青春真っ盛りのころ、小林秀雄が書いたモーツアルトのこの言葉。
モーツアルトの TRITESSE ALLANTE

「悲しみは疾走する 涙は追いつけない」

 此のセリフは、戦後の20歳台の若者の屈折した悩みに、どれほどの衝撃を与えたことか。  
 I君は私の文学、フランス語の唯一の友人で家が下北沢、私は明大前。私達は下北沢の駅でよく落合い古本屋めぐりをしながら、本屋のおやじさんから「此の裏の横町の奥に横光利一先生の家が有るんだよ。」と教えられると、其の通りを通るだけで、胸をときめかせたものです。

 或る時、その彼が下北の駅で別れ際、普段とは別人のように口もきかず、背を向け反対のの出口へ手も振らず去って行きました。 私は非常に腹が立ちましたが、それならそれでと、自分の腹をくくりましたね。

つづく

2010年8月17日火曜日

夏休みの御宿(おんじゅく)


 例年、恒例の黒船屋の親睦会です。 もう、何年続いているのでしょうか。息子、娘が小学校の頃からですから、もう30年近くになるのでは?
 最初は多分家族旅行みたいに店を休み、夏ぐらい海水浴にでも連れて行こうか、と言う話だったと思います。当時はそれ程、店の仕事だけに、おいまわさられていた毎日でしたね。 疲れを知らない子供のように、朝から夜遅く迄。振り返ってみると、頑張っていたな、感慨に耽るものがあります。

 でも、現在は子供達も自立し、私ども夫婦で気ままに気の逢う御常連の方々を誘い出かけております。そして今では、御夫婦連れて海辺の割烹旅館で総勢11名の夫婦連の方々を含めての親睦会になっています。今年は、私かパソコンを持ち込み、宴会中にスカイプを使い カリフォルニアにいる娘を会話に交えて、みなさまのご機嫌伺いが出来ました。昔から娘を知っていらしゃる御常連は大喜びでした。私は、パソコンを持ち歩き、料理を食べることができませんでしたがね。

 毎年お世話になる旅館は「かいらく」。旅館のご主人とは彼が若い頃からの付き合いです。わがままをきいてもらい、のんびりさせてもらっています。写真は夜のご馳走。みなさん、美味しいと喜んでくださいます。

*かいらく
〒299-5103
千葉県夷隅郡御宿町新町539
TEL:0470-68-3231
http://blue.zero.jp/kairaku/index.html

2010年8月12日木曜日

画集のお礼


 画集を配布させて頂きたいと考えていました皆様に、なんの拘りもなく配布出来ましたことを感謝しております。皆様の目線を通して私自信、絵に対する姿勢をハッキリ見極めることが出来ました。
 やっと、絵画的事実というところにたどり着けるという自信を持つことが出来き、この年齢に近づけましたことのは、ひとえに皆様ご支援のたまものと感謝しております。有り難うございました。
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