
さて そんな事を云ってる暇はありません。多くの人々の立ち止まってる柵の前、ゴッホの自画像です。それもほかの画家と同じように無造作に掛けられておりました。私も傍に寄り、食い入るようにみました。真贋 のことなど云々するつもりなど少しもありません。ゴッホだと思って見入ってるのです。
私も厚塗りの油絵をかきます。金がかかります。パレットに生の絵具を絞り出し筆先に乗せ画面に打ち込んでいきます。鼻の頭も唇も点描で押しきっています。でも、私が自分で気になっているある部分?そこだけが点で押しきれていないのです。
其処は、上部の枠と自画像の頭部のせまいある一点を打ちこむことが出来ないのだったのに違いないと感じ取りました。
何故?それは頭部の頂点ともいえる有る一点が決められない問題が有ったからだと思います。「セザンヌ夫人」の頭部の絵を知ってる方は「ああ!これはまるで、ピカソの立体画と同じではないか。」と唸った筈です。 多分ゴッホもこのことに悩んだ末に其の狭い一画を、其の頭部と枠の或る部分を点描に抑えず、平塗りの平面にして完了させて、筆を擱いてしまった。と私は感じました。
さて、それからまた移動することを余儀なくさせられます。多士済々の絵。よくこれだけの作品を集められたのは、アメリカ大国の財力が物を云っているのでしょうが、でも日本のバブルの絶頂の頃も、或る関西の製紙会社の社長が当時、金に糸目を付けず西欧の絵画を買いあさった話、バブル期が終わり絵の処分を考え、鑑定の結果不幸にも殆ど贋作と言われ、灰にしたとか?よくはしりません。

「赤いチョッキの少年」やっと、おお気に入りのこの絵の前に立つことができました。 この少年をモデルにした同じ構図の絵は4点あるそうです。きくところによると、セザンヌの作品の傑作は殆ど当時大国ロシアに買い込まれたとも聞きます。
マネのコーナーで私にとっては懐かしいリトグラフを見つけました。喪服を着た女「ベルト モリツ」 リトなので、日本でも複製で三種類はみております。でも、このリトでは喪服と云うイメージが湧きませんね。マネのお知り合いの女の子。当時こんな句を作りましたよ。

「喪の花の ライラック手に ベルトモリツ」
其のうち、別のコ-ナーである絵をみつけたのです。もしかしたらこれはミステリアスなお話にこだわる私の妄想なのでしょう。その題名は
「ベルト モリツ」1987年 ペンシルバニアー アメリカ国籍
絵はまさしくマネの描いた喪服の女の1872年の作品です。当時この油絵を描いたアメリカの画学生は、 マネのアトリエに出入りできる裕福なアメリカの好青年モデルをしていたベルト モリツさんも、もしかしたらお互い好感を抱いていた。
彼は、こんな風に 彼女に云った筈です。
「僕にも マネさんと同じポウズで、油絵を描かせて下さい。」
「アメリカに 行きましょう ペンシルバニア 素敵な国ですよ!」
「貧しい生活は決してさせません。」
こんな声が聞こえてくるマネの傍に付き添っていた画学生。でもここで私も我にかえります。
「もし彼女が本当のプロのモデルさんだったら?」
そんな甘いパリ ジェンヌはいるはずがありませんよね。
みなさん、いつもありがとう。また連れ出してください!