
昨日、月曜日。日本橋公会堂のドガの時代背景、ドガを含む印象派グループについての公演をを拝聴しにでかけました。開場は6時半。我が家、黒船屋から歩けば30分そこそこ。
ところが、其の日は夕方から晩秋の冷たい雨。そのうえ、其の日は店が7時から女性客の予約が入っているのです。そこへ、息子が私を送ってくれ、私のいない時間を自分が代わりを務めるから心配するなと云ってくれました。彼はホテル勤務の身。水商売、客商売のことなら私が何も教えることもないプロです。むしろ私は何時までも素人っぽいことがお客に愛されている84才のバーテンダーです。女性客なら、若い彼がいるほうが気にいる筈。それに、私が戻るまでは皆さまは待っていてくれる筈。勝手な話です。
そして、息子を二人で店を出ようと傘を取りだすと、
「傘はいらなよ、もう帰るまでにはもうやんでるから。」
と息子。彼は物事のけじめにハッキリしたオトコ。私は反対にだいたい全てのことに無頓着です。
まだ小雨の公園を抜け地下鉄で切符を買ったら、
「じゃあね、迷子にならないで。」
私は息子が、てっきり人形町の会館まで連れていってくれるものと思っていたので、
「なんだ、ここまでなら俺、一人で来られるのに。」
詰まり、話はこうです。彼は7時、今、人形町の一つ先の剣道具屋から急いで帰って来たところ。何故なら、今日の予約のお客さんに合わせて、私の穴埋めに来たのだから店に戻るよ、というわけです。まあ、雨でなければ、歩いて行くつもりだったのですから地下鉄の改札まで御見送り御苦労さま、と一人で人形町の改札を出て、出口の階段が二つあり、左の階段を上がりました。
外は未だ雨。昼まと違い町はうすら闇、パーカーのフードをしっかり被り直し目標の水天宮の交番の灯りがどちら側にあるか、雨をすかして見るのですが、、、、わかりません。
雨の日の商店街。観光されてる町はシャッターを早く降ろすものです。フードから降り掛かる雨も憂鬱です。昔、子供たちに絵本を読んでやっていて、読んでいる親がが泣きたくなる、御使いにだされた少年のお話。「一枚の銀貨」を思い出します。

母親に云われた事を繰り返し呟くのです。
「バター半斤、パン一斤、それからチーズを三個 忘れずに。」
少年は一生懸命に言葉を歩調に合わせて小川を飛び越します。
「ヨイショ」
小川の向こうには明るい人恋しい、肉やの灯り。お店に少年は飛び込みました。お店のおじさんと顔を見合わせたのですが、さっきまで口で唱えていた言葉がでてきません。ただ、ヨイショ、ヨイショです。少年は手をグッと握りしめました、そして顔色が変わります、しっかり握りしめていたお金がないのですから。
未だ低学年の少年、他人の前では泣けません。少年は今来た道を銀貨を探し、戻ります。ママの顔が見たい、怒られることなど考えていないのです。ママは迎えにでていました。ママは少年の顔を見ただけで、何が起きたか分かるものです。
「ママはお前が肉やさんに行って、戻ってきただけで、うれしいの。お金を落としたことは心配しないで。」
少年はそこで、ママの膝にしがみ付き、泣くのでした。
この童話は何度子供たちに読んでも、自分の声が震えたものでした。
ところで、私は出口から反対の歩道に出てしまった結果、目線が合わず交番を見つけることが出来なかったのです。