八丁堀から日比谷線、丸の内線で乗り継ぎ、新宿御苑前までと夜の新宿の街へ。何時も何処を歩いているのか無頓着な85才の私と何時も一人で海外に出かけるマダム イメルダと呼びたくなる彼女との珍妙なカップルです。
平日金曜日の夕方6時。帰宅を急ぐサラリーマンで混む時間帯。イメルダに云われます。「離れないで!」私ば、地下鉄くらい、一人でも乗れるよ、とばかり入口の脇にへばりつきます。
降りる人と、乗り込もうと待ち構える人の異様な殺気がありますね。私は急ぐわけでもないのですが、自分の小柄な身のこなしで隙間になんなく入り、角の空席に回り込もうとした時、反対側から男性が背中を盾にして、座りこもうとしましたが、私が年寄りと気がついたのか、踵を返してしまいましたので、私も、軽く頭を下げ「どうも。」と云いましたよ。
イメルダはこっちに目を光らせて監視しています。銀座駅迄は3つ目ですからすぐですよね。でも、人の身体で何処の駅で停まったのか見当がつきません。 東銀座なのか築地なのか見当がつきませんよ。空いてる電車なら慌てることは無いのですがね。イメルダがすかさず云いました。
「次が東銀座、その次ですからね。」
次の停まった駅の乗客の混雑していること!ここが東銀座。矢張りこの辺も商社街のビルばかりになってるんだなと昔の八丁堀のサリン事件以前のどぶ川の頃を感慨に耽り、席を立ちあがりイメルダの傍にくっつきました。
さあ、この銀座駅で、乗り継ぐ地下鉄線が、銀座線、丸の内線と日比谷線。各種に人々は向うのです。車内から降りる人は、半分はここで降りるのですから、其の人波に巻かれられないわけはありません。
シヤンソンの歌ではないけど、
「サンジャンの人波に 私は巻かれていた」
でも、アコーディオンの響きではなく駅構内の案内の甲高い声。英語、中国語、日本語と長々と説明を理解しおうとしても、殆どの人は聞きはしないのでは?
エスカレーターに向えば、人波に、否応なく乗らなくては、中ほどまで上る中に人も、整然と姿勢を正すことができました。
そのとき、前で立っていた若い女性がよろめいたたのです。後ろを振り返り、下を向いて何か探してる様子。私もすかさず視線を下に向け、何か固形物があるのに、目を止め、拾い上げました。これ!ヒールの足のカカト。
「あっ、有難う御座います。」
カカトを手に取り彼女は茫然と、うろたえています。エスカレートを降りても、立ちすくんだまま半ベソをかき、手のひらのカカトを見つめ、泣いてしまうかな、と思わせる若い女の子。その娘が都会子ではなく、地方から来た娘なのは直ぐ分かります。拾い上げた関わりが有るので、私としてはあまり深入りしなように、
「あそこの駅員さんに行ってヒールが折れてしまったのと相談するといいよ。」
と声をかけました。私の後ろにイメルダがいて、すかさず彼女はいいました。
「そんなの心配することないわよ。一緒に行ってあげるから。いらいしゃい。」
そして、そのとき、その娘が云う言葉に私はびっくり。
「私、現金がないんです。」
でも、イメルダは平然としています。
「大丈夫、カードがあれば、其のへんでおろせるから。」
駅員のところに、その娘を連れて行き、カカトの折れた靴を見せ、この辺のヒールのカカトを直してくれる所を聞き出しています。 駅員が指で改札の外を差し、カードでお金をおろすならこの自販機の横にあります。そんな事云ってるみたい。二人はそこまで行き、何とかお金を下ろしたみたい。
私、「そうか、そうか、現金がないということは、お金がないんじゃなくて、唯、現金がないと云うことなんだ。」イメルダは娘にあそこだよ、改札でて、すぐそこよ。
流石、マダム イメルダ。拍手!私が一人でいたら、改札を出て、一緒に靴屋まで行って、多分修理代も払いかねません。
この事を、2日後の夕方息子が来たので話しました。彼は人の顔をニヤニヤ笑いながら、なにを馬鹿なことを考えてるのと彼の回答は、数学の答えみたいに割り切れていましたね。
「俺なら、もう片方のヒールのカカトを折ってそのままで歩いて、靴修理に持ていかせますね。ローヒールのつもりなら、いいんじゃない。 修理代は一つも、二つも 値段的に変わらない筈。」
と、冗談ぽっく言っていました。
私は、そんな発想が瞬時に出てくる彼の反射神経の答えに、軽く面を取られた気持ちでした。そして、その話をまた後になって、我が家の奥さんに話したところ、彼女の解釈はまた、違いましたね。
「なにを、馬鹿なことを云ってるの。 靴はローヒールでも、ハイヒールでも、カカトがなければ歩けません。スリッパで足を引きずるようなものですよ。」
やはり、ママ、ごもっともです。
つづく
2011年1月24日月曜日
2011年1月19日水曜日
シャンソン 『ナント』

バルバラの歌うシャンソン『ナント』を私なりに訳しました。
ナントは、大西洋側のフランス北の町です。父親が勝手に家を開け放し、何年も戻らず、友達も居なくなり 失意のどん底から、何もかも捨て、この昔からのナントの町を捨てて、結婚を決意。
暗鬱な雨の降る町から訣別を 手を差し延べるひともなく告げる雨のナント。そんな時に父の友人の一人から手紙を届けられるのです。マダム、どうかもう一度ナント迄お戻り下さい。彼は死ぬ前に一目とマダムと御会いしたいと願っています。
バルバラの暗い歌唱力が、雨のナント町を一層、暗くするのです。このシャンソンは一寸歌えない難しいシャンソンです。
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ナント
ナントに雨が降る
手を貸して
ナントの空は
心を憂鬱にする
一年も こんな朝を迎えてしまった
街並みも青く塗り替えられ
停車場の外は もう見知らぬ街
もう戻る気もなく
私は旅に出る筈だった
一通の手紙が 私の足をそこへ向けさせたのだ
「マダム どうかグランジュウル オー ルー街
二十五番街にお越しになって下さいませんか
彼はもう短い命
貴女に一目とそれが希みなのです」
何年か共に過ごしたわ 最後の時
心が締め付けられ
彼の声が沈黙を引き裂く
だって 彼はもう私を捨てて出て行ったの
長い月日何時戻るかと わたし
仲間達もいなくなり
そこに取り戻した自分だけがいたわ
グランジュウル オー ルー街 二十五番街
ここで過ごした日々
忘れることは無い
この廊下の一番奥 あの部屋
暖炉の傍に座り
四人の男が立ち上がるのが見えた
灯りが白く寒々と点り
礼装をした彼らとは
言葉を交わすこともなく
ただの見知らぬ世話人たち
逢ったことも話したことも無いわ
でも すごく疲れているんだわ
共に過ごした日々
グランジュウル オー ルー街 二十五番街
もう決して忘れることは無いし
もう居ないのだわ あの人
ほら でもあなたのご存知の物語は残ったわ
夕べがやって来て最後のお別れ
浜辺での葬列
彼は死を望んでいたのかも
私の微笑を取り戻すこともなく
闇の世界へ
さようならも言えず 愛の言葉もなく
海辺の墓地
石畳の園に横たわり バラの花に飾られ
安らかに眠るといいわ 「主よ、主よ」
ナントに雨が降る
忘れはしない
ナントの空は
心を滅入らせる
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2011年1月14日金曜日
2011年1月3日月曜日
猪牙船
その道は、私たち二人が毎月一回は行き来する箱崎の川沿いの社。小さな祠で庭石を倍にした大きさの石に白蛇がとぐろを巻いてこちらを見ている感じの図がらが彫り込んであります。
石は多分最初からそのような形態をしていたものに手を加えたのだと思いますが、ここに供物をあげお参りにくるきっかけは蛇の大嫌いな彼女が、或る夜、夢で白蛇に巻きつかれ、それも同じ夜に二回も。ショキングな事態に夜就寝に付けません。白蛇に巻きつかれる夢などは昔から縁起の良い夢と言われてる。一度、箱崎に
こう云う社が有るからという切っ掛けがあったのです。
心配事、身体の具合の悪い時、何かとここにはお願いに参ります。今では馴れ馴れしく、「じゃぁねー。」なんて、友人に話に行くような親密さで会いに行きます。
その箱崎の帰り、歩道に張りだした藤棚のある、一階が倉庫に使われてある家が有りました。五、六月は其の下で藤の花を見上げ、しばらく佇み、店の中を覗きこむのは、其の店に古物商の看板が隅のところに、掛けたあるからです。
でもそれらしきものはどこにも見当たらず、壁面に櫂、櫓、船の部品と思われる厚い板。でも和船は規格品ではありませんね。それぞれ大きさの相異がある筈。其のままでは使えない筈。私の店に沈没船が長年引き上げられずに、流木の様に朽ちる寸前の船尾の部分を潜り、手に入れた私の親しい大工の親方が、店の開店記念にこれを安房小湊から持ってきていただいたものがあります。
木材は悼んでいませんが、くいこんだあの船釘が赤黒く錆で現物の半分にもやせ細り、板は流木をこのむ好事家が珍重、垂涎の的の無数の虫に細かくつけられた穴、この海の虫の穴の数で流木の価値が決まるといわれています。
そこにある船具類はまだ新しく、家具類を作るには適していますが、其のままでは何の飾りにはなりませんね。でも櫓は違います。壁、ルームに掛ければ立派な調度品です。ただそんな空間を持った住まいは、下町の平屋家では無理と云うもの。
下町育ちのカミサン、船のこと、川、橋、橋梁のことなら知らないことがない。反対に山の手しか歩いたことのない私は、橋といえば、お茶の水、聖橋、アーチ橋。若い頃身の軽さを誇って、あのアーチの欄干を歩いて見せていましたよ。
カミサンの幼児体験に船に対する忘れられない想いが、彼女の父親と深く関わっているようです。私は生前もお目にかかってはおりません。彼女の父親は船乗りで、隅田川の蒸気船を任され、船で就業中、お倒はれになりました。合掌。
彼女の忘れられない幼い頃、父の船で、隅田川を上下して、初めて見る色々の橋を教えてもらえた事。父の非番の時は稲荷橋下から、箱船、所謂「猪牙」に乗せられ、今はない、石川島播磨の工場の下、船から秋空を眺め、父の漕ぐ櫂。ハゼの釣り糸を垂らし、自分も一丁前の娘気分です。もうこれは一生忘れられない想い出になったはず。
その緒牙船の櫂が古物商の店で手に入るのかもしれない。そこの店主と話してみたいし、もしかしたらの値段だったならと、その店の前を通るその度に覗くのですが人かげが有りません。
そんな暮れも押し迫った日当たりの恋しい暮れの最後のお参りに出かけ、いつもとは反対の日当たりの歩道から、チラリとあの倉庫を眺めると、店先で仕事着のおじさんがいるではありませんか。
彼女は車を確かめ、急ぎ足でその倉庫のおじさんの前に立ち、先ずは話の切っ掛けを話しかけます。
「何を作ってているのですか?」
「植木を乗せる台を作るのです。」
「藤の棚は無くなりましたね。」
「ああ、歩道を汚すからね。」
「以前、ここに和船の櫂が有りましたよね?」
おじさん、少し真剣な顔になりました。
「あの櫂を手に入れたのは、石川島播磨の工場が解体された頃だよな向こうから、邪魔だから貰ってくれといわれたんだよ。」
彼女も真剣になります。
「それで、あの櫂、三本有りましたよね。どうなったのですか?」
「ああ、あれはね、深川の堀で和船を動かす知人に欲しいと言われ、あげてしまったよ。」
「まだ、猪牙船を動かしてる人もいるんですね。本当はあの櫂が欲しかつたの・・・・」
其の話をいつの間にか、自転車のハンドルに寄りかかり聞いていました、おじさんの奥さんが、
「それなら、もっと早く話してくれたらよかったのに。」
でも、話はそれで終わりませんでした。 オチがあります。
彼女は気を取り直し、
「でも頂けたとしても、湊町まで持ち帰れませんよね、大きくて。」
「港町櫂、おいら湊三丁目だからもって行ってやれたのに!あの櫂は大きくて、家で持てあましていたんだよ。」
がっかりしたのでした。
石は多分最初からそのような形態をしていたものに手を加えたのだと思いますが、ここに供物をあげお参りにくるきっかけは蛇の大嫌いな彼女が、或る夜、夢で白蛇に巻きつかれ、それも同じ夜に二回も。ショキングな事態に夜就寝に付けません。白蛇に巻きつかれる夢などは昔から縁起の良い夢と言われてる。一度、箱崎に
こう云う社が有るからという切っ掛けがあったのです。
心配事、身体の具合の悪い時、何かとここにはお願いに参ります。今では馴れ馴れしく、「じゃぁねー。」なんて、友人に話に行くような親密さで会いに行きます。
その箱崎の帰り、歩道に張りだした藤棚のある、一階が倉庫に使われてある家が有りました。五、六月は其の下で藤の花を見上げ、しばらく佇み、店の中を覗きこむのは、其の店に古物商の看板が隅のところに、掛けたあるからです。
でもそれらしきものはどこにも見当たらず、壁面に櫂、櫓、船の部品と思われる厚い板。でも和船は規格品ではありませんね。それぞれ大きさの相異がある筈。其のままでは使えない筈。私の店に沈没船が長年引き上げられずに、流木の様に朽ちる寸前の船尾の部分を潜り、手に入れた私の親しい大工の親方が、店の開店記念にこれを安房小湊から持ってきていただいたものがあります。
木材は悼んでいませんが、くいこんだあの船釘が赤黒く錆で現物の半分にもやせ細り、板は流木をこのむ好事家が珍重、垂涎の的の無数の虫に細かくつけられた穴、この海の虫の穴の数で流木の価値が決まるといわれています。
そこにある船具類はまだ新しく、家具類を作るには適していますが、其のままでは何の飾りにはなりませんね。でも櫓は違います。壁、ルームに掛ければ立派な調度品です。ただそんな空間を持った住まいは、下町の平屋家では無理と云うもの。
下町育ちのカミサン、船のこと、川、橋、橋梁のことなら知らないことがない。反対に山の手しか歩いたことのない私は、橋といえば、お茶の水、聖橋、アーチ橋。若い頃身の軽さを誇って、あのアーチの欄干を歩いて見せていましたよ。
カミサンの幼児体験に船に対する忘れられない想いが、彼女の父親と深く関わっているようです。私は生前もお目にかかってはおりません。彼女の父親は船乗りで、隅田川の蒸気船を任され、船で就業中、お倒はれになりました。合掌。
彼女の忘れられない幼い頃、父の船で、隅田川を上下して、初めて見る色々の橋を教えてもらえた事。父の非番の時は稲荷橋下から、箱船、所謂「猪牙」に乗せられ、今はない、石川島播磨の工場の下、船から秋空を眺め、父の漕ぐ櫂。ハゼの釣り糸を垂らし、自分も一丁前の娘気分です。もうこれは一生忘れられない想い出になったはず。
その緒牙船の櫂が古物商の店で手に入るのかもしれない。そこの店主と話してみたいし、もしかしたらの値段だったならと、その店の前を通るその度に覗くのですが人かげが有りません。
そんな暮れも押し迫った日当たりの恋しい暮れの最後のお参りに出かけ、いつもとは反対の日当たりの歩道から、チラリとあの倉庫を眺めると、店先で仕事着のおじさんがいるではありませんか。
彼女は車を確かめ、急ぎ足でその倉庫のおじさんの前に立ち、先ずは話の切っ掛けを話しかけます。
「何を作ってているのですか?」
「植木を乗せる台を作るのです。」
「藤の棚は無くなりましたね。」
「ああ、歩道を汚すからね。」
「以前、ここに和船の櫂が有りましたよね?」
おじさん、少し真剣な顔になりました。
「あの櫂を手に入れたのは、石川島播磨の工場が解体された頃だよな向こうから、邪魔だから貰ってくれといわれたんだよ。」
彼女も真剣になります。
「それで、あの櫂、三本有りましたよね。どうなったのですか?」
「ああ、あれはね、深川の堀で和船を動かす知人に欲しいと言われ、あげてしまったよ。」
「まだ、猪牙船を動かしてる人もいるんですね。本当はあの櫂が欲しかつたの・・・・」
其の話をいつの間にか、自転車のハンドルに寄りかかり聞いていました、おじさんの奥さんが、
「それなら、もっと早く話してくれたらよかったのに。」
でも、話はそれで終わりませんでした。 オチがあります。
彼女は気を取り直し、
「でも頂けたとしても、湊町まで持ち帰れませんよね、大きくて。」
「港町櫂、おいら湊三丁目だからもって行ってやれたのに!あの櫂は大きくて、家で持てあましていたんだよ。」
がっかりしたのでした。
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