2012年1月13日金曜日

黒船屋の解体工事














 いよいよそれぞれの想いの染み込んだお店の解体工事が始まりました。長い間のようで短くもあった35年間でした。これからの年金生活はつつましく、ひっそりとした日々となります。   ママ
                                           
 解体工事が始まり、1階はほとんど解体され剥き出しになり、今は電気、水道の整備中です。外に出るにも、階段から靴を履かなければ抜けられません。埃と木屑の山を通り抜けるからです。東京も寒くなり、雪が降るとか。寒いのは苦手だけど、風邪をひかずに元気にフランス語の学校、ヨガと行っています。

 解体中の写真を拡大してみるとなかなか素敵。カンウターを少し奥へ引っ込めさせますから、店は少しゆったりするとおもいます。
 入口に和風の引き戸が、懐かしい日本を蘇らせるでしょう。  

  大和は 国のまほろば  

    たたなずく 大和し  うるわし


 私が軍に召集された時、障子に陰を落とす松の影を見ながら、

 「誰のために 戦争に行くのではない。
 この、まほろばの国を護るため。
 天皇の為ではない。」

 と固く決意したことを思い出しました。
  
 「ザ黒船屋 一代」 「ザ」がなければ、野良猫でも黒猫でも構わない思い出を作った店でした。
 みなさん、ありがとう。
                                       マスター

2011年12月3日土曜日

中央区 謎解き宝探しイベント その1


 この謎解き宝探しイベントに参加するきっかけは国外にいる娘からのメールで、86才の私の重い腰を立ち上がらせたのでした。

 なんでも中央区で宝探しをするイベントがやっているそうで、早速、中央区役所に出かけ、その謎の古地図とパンフレットを手にしました。賞金&賞品総額500万円!!
 この謎解きは1stステージと2ndステージの二つがあり、最初のステージを通過しなければ、2ndステージの地図を手に入れることが出来ないのです。

 家内の分と2部持ち帰り、家で見てみると、宝の地図には6箇所の宝のありかが記載されています。3つ以上の宝に記載されたキーワードを報告し、正解ならば、2ndステージ用のの宝の地図がもらえますが、6つ正解しないことには賞金の抽選には入りません。
 コンサートを控えた忙しい家内を巻き込み、私達、家内と二人のコンビは締め切り数日前に迫ったこの宝探しに出かけることになりました。

 歩いて宝を探しに行くのは私。家で考え、行き先を指示するのは家内。アメリリカの娘はインターネットでの謎解きと私の携帯でのナビです。娘の指示は真に正確で、私が迷いどんなに途方に暮れても、まるでビデオ
で見てるように、場所、物を言い当てるのですね。私はその場所に行き、宝箱のキーワードを捜せばよい話。
 でも 私のグチを云えば、東京は今、いたるところ工事で行きどまり。ナビを聞く携帯を持つ手も痺れ、そのうち、携帯は電池切れ。ジ エンドです。 

 私達は中央区の下町の住人なので、隅田川沿いのヒントの隠し何処はすぐひらめくのです。まず出かけたところは佃。

 財宝 五「人と田が一体となりし地で力自慢の漁師たちを探すがよい。」

 地図を持った人が歩いていますが一人で探しているのは私ぐらいです。人の波を追い、みんなが左に曲がれば左へと歩きますが、娘からの電話でどうも方向が違うよう。佃の波除神社はこんなところのあったのですね。宝探しの人は誰もいず、見つけました宝箱!書かれたキーワードは「オオイナル」です。
 宝箱は持ち出されないように紐で結ばれていました。

 波除神社には「さし石」と呼ばれる大きな石があり、それを漁師達が力自慢をして持ち上げたのでした。

2011年11月11日金曜日

秋薔薇


 秋薔薇 拡げて 魅せる 裸身 朽ち

 ある日が好きだ

 過去 未来を 時 と言う空間にある ある日

 借命の暇にも 咲いたバラの花

 それが 確実な 現在 だ

               ノブ

2011年10月18日火曜日

ワシントン ナショナルギャラリーへ行こうよ! その3


 さて そんな事を云ってる暇はありません。多くの人々の立ち止まってる柵の前、ゴッホの自画像です。それもほかの画家と同じように無造作に掛けられておりました。私も傍に寄り、食い入るようにみました。真贋 のことなど云々するつもりなど少しもありません。ゴッホだと思って見入ってるのです。 

 私も厚塗りの油絵をかきます。金がかかります。パレットに生の絵具を絞り出し筆先に乗せ画面に打ち込んでいきます。鼻の頭も唇も点描で押しきっています。でも、私が自分で気になっているある部分?そこだけが点で押しきれていないのです。

 其処は、上部の枠と自画像の頭部のせまいある一点を打ちこむことが出来ないのだったのに違いないと感じ取りました。

 何故?それは頭部の頂点ともいえる有る一点が決められない問題が有ったからだと思います。「セザンヌ夫人」の頭部の絵を知ってる方は「ああ!これはまるで、ピカソの立体画と同じではないか。」と唸った筈です。 多分ゴッホもこのことに悩んだ末に其の狭い一画を、其の頭部と枠の或る部分を点描に抑えず、平塗りの平面にして完了させて、筆を擱いてしまった。と私は感じました。 

 さて、それからまた移動することを余儀なくさせられます。多士済々の絵。よくこれだけの作品を集められたのは、アメリカ大国の財力が物を云っているのでしょうが、でも日本のバブルの絶頂の頃も、或る関西の製紙会社の社長が当時、金に糸目を付けず西欧の絵画を買いあさった話、バブル期が終わり絵の処分を考え、鑑定の結果不幸にも殆ど贋作と言われ、灰にしたとか?よくはしりません。


「赤いチョッキの少年」やっと、おお気に入りのこの絵の前に立つことができました。 この少年をモデルにした同じ構図の絵は4点あるそうです。きくところによると、セザンヌの作品の傑作は殆ど当時大国ロシアに買い込まれたとも聞きます。

 マネのコーナーで私にとっては懐かしいリトグラフを見つけました。喪服を着た女「ベルト モリツ」 リトなので、日本でも複製で三種類はみております。でも、このリトでは喪服と云うイメージが湧きませんね。マネのお知り合いの女の子。当時こんな句を作りましたよ。


「喪の花の ライラック手に ベルトモリツ」

 其のうち、別のコ-ナーである絵をみつけたのです。もしかしたらこれはミステリアスなお話にこだわる私の妄想なのでしょう。その題名は

 「ベルト モリツ」1987年 ペンシルバニアー アメリカ国籍 

 絵はまさしくマネの描いた喪服の女の1872年の作品です。当時この油絵を描いたアメリカの画学生は、 マネのアトリエに出入りできる裕福なアメリカの好青年モデルをしていたベルト モリツさんも、もしかしたらお互い好感を抱いていた。

 彼は、こんな風に 彼女に云った筈です。

 「僕にも マネさんと同じポウズで、油絵を描かせて下さい。」
 「アメリカに 行きましょう  ペンシルバニア 素敵な国ですよ!」
 「貧しい生活は決してさせません。」

 こんな声が聞こえてくるマネの傍に付き添っていた画学生。でもここで私も我にかえります。

「もし彼女が本当のプロのモデルさんだったら?」

 そんな甘いパリ ジェンヌはいるはずがありませんよね。

 みなさん、いつもありがとう。また連れ出してください!

2011年10月2日日曜日

ワシントン ナショナルギャラリーへ行こうよ! その2

「ワシントンナショナル ギャラリィーって何処?アメリカ!え?日帰りで?」
「地下鉄日比谷乗換ですよ。」
「六本木じゃあないんだ。」
「乃木坂です。」

「昔、乃木坂に初めて行った頃は、何もない街で乃木神社を見ただけです。乃木坂辺りではいい男だった と言われたもんだね。」
「いいえ、その歌詞は間違っています。こうです。『それでも乃木坂あたりでは  私はいい女なんだてね』」

「Aさんには かなわないですね!」
「もう、降りますよ。」

 地上に出るまでの階段の長いこと。やっと外に出ましたが、其処はまるでビルの屋上の様です。熱い! 真っ直ぐ数十歩行くと、又、目の前にビルの正面入り口ではありませんか。

「ここが私達の行き先、国立新美術館です。」  

 まだ中には入ったわけではないのですが、国立です。立派な構造を持った建築に違いないでしょう。でも このネーミングの付け方。新装開店の飲食店じゃあるまいし、何世紀も先迄も念頭に美術品を所蔵しなければならない美術館ですよ。名前を付けた役人が自分の生きてる間の矜持だけを念頭に付けた、この国立新美術館。 
 
 まずはこの耐えがたい直射日光から逃れたい。美術館の中に3人ではいりましたよ。私はIさんが買っておいてくれました入場券を渡されていたものですから、外の入場券売り場の長いあの暑い日差しに嘆くこともなく入ることができました。ひとえに彼女のおかげなのです。
 3人は広々としたロビーに満足できました。ロビーにはテーブル、椅子、老人 、若い人、車いすの人、子供達。ここが新美術館!

 先ずは座りましょうと他人を交えず3人だけが勝手に座れるテーブルを見つけ、私が持ってきた『青柳』のロールケーキ、瓦煎餅、珍しく買った金平糖を3人分ぴったりさげてきたのです。あとは水。食べ終われば、後は手洗いに行き、さて打ち合わせです。
 展示場を何時間で出てくること。印象派、其の後の絵画印象派。もし美術誌を何冊も広げて見るように歩きまわったらそれこそ半日は過ぎるでしょう。そこで、決めました。1時間半で出口で待ち合わせ。館内は お互い勝手!各自の好み、お好きなように、印象派 前期 中期 後期と部屋は 右 左 横 と人波に 揉まれ人の列どうりには決して歩きたくはありません。

 6月の何時だったか。私達この3人、ドガ展にもいきまいた。そして何となく不自然に感じたことは、 ドガ セザンヌも印象派の枠に分類されていました。1800年代と言えば半世紀前迄では、未だあのドラクルワーも現存して活躍していました時代です。

2011年9月17日土曜日

ワシントン ナショナルギャラリーへ行こうよ! その1

 1800年代から1900年代にかかる1世期のフランス絵画の印象派と呼ばれた時代を座等したパリ! 私が1900年代の生まれだから、後期印象派から現代絵画に移行し始めたパリ。フランスに行きたしと 思えどフランスはあまりにも遠し。現代みたいに情報文化が世界どこからでも入ってくる時代ではありません。

 当時の巨匠と言われた画家達もほとんど亡くなりました。戦後のアプレゲール アバンギャルドなどの喧騒も何時か収まり、マチス ピカソ ブラックなどが印刷画を通して見れるようになった時の驚き。世の中にはこんな素敵な色彩の世界があるんだ!と目を開かせられました。

 私が未だ25才ごろ。昭和25年の日本にはまだ身に付ける服でも殆ど黒か褐色でした。アテネ フランセの男性英国人教師が言いましたよ。「貴方達は何故、何時も同じ黒、褐色の服をきてるのだ。」と。 
 当時は勿論、誰もが貧乏でした。でも色ものを、着ることなんかが戦時中あるわけがありません。女性はナイロンのストッキング 一枚で身を任せたし、上野の森にいけば、マッチ一本 百円で少女のスカートの中を見せたと噂が広まった時代。私は其のころから、絵画の世界に手をそめたのでした。

 彼は多分、この店の常連。私の連れのことも良く知っている男。私がどこの旅館で働いているかは知らないはずはありません。彼の手は顔面だけを狙って打ってきます。私は間合いを取らせないように前へ、前へ身体を詰め、頭を右左によけながら進むのですが、彼は的確に当ててきます。

「やめろよ。話を聞こう。」

 彼は私を打ち倒そうという気はないのですが、なぶりものにし、恥かしめてやることが目的のようです。このままでは駄目だ。相手の懐に飛び込み、組み合いたい。身体は小さくても組めばかなり自信があります。ドタバタ騒げば店の誰かが止めに入る筈。それで駄目なら、
私の必殺技、指二本 中指と人差し指をつかいます。この指をダランと下げたまま、相手の懐に縋るように、気づかれず、相手の鼻筋に沿うように、其のまま目に突っ込んでやるのです。まあ、目は潰れなくても一時的な失明はする筈。でも、先に彼の手が私の鼻をかすめました、結果は鼻血を出してしまいました。詰まらない処で幕切れでした。

 聞けば、彼は大学のボクシン部で、国対にも出ていた人物でした。次の朝、私は三日の休暇を取っていましたので、誰にも気づかれずに午前十時の上り急行に乗りで東京にきていましたね。目の下に張れが有るため、眼鏡店でサングラスを買いました。 

 こんな話は五十年も前のこと。当時 サングラスなど かけて 街をあるいている人は、 ヤクザ か 映画人ぐらいです。 今回も 美術館へ いつもの彼女たちとでかけるのに、息子がくれたアメリカ製 のサングラスをかけ 、三人で新国立美術館、ワシントン ナショナル ギャラリーに連れて行ってもらうのですよ。道案内役はAさん ですので、こんなわけの分らない話でも 二人には 通じるのです。 

2011年8月21日日曜日

南高橋のいちじく


 南高橋になっているいちじく。
「無花果」 「映日果」 と 書く不思議な字です。

 キリストが暑い砂漠を弟子をつれ旅の途中、ふと見つけたこの木。葉だけは青々しているのに実一つありません。イエスは嘆き、以後、この木には 花は咲かなくても構わない!
 イエスに呪われたいちじく。漢字にはそんな意味が入っているのでしょうか?

   いちじく の花はしらずも 夏の果て       ノブ