峠のソマ道(杣道)に入ると、日差しが木漏れ日となって、道を長く照らしてくれています。
はじめのうちは、もの珍しく眺めながら歩くことが出来たのですが、でも何故か背後が怖いのです。鳥も鳴いてはくれません。 先え 先えと足早に歩きます。怖いのです。木の葉のざわめき、あの音。ザワ、ザワと私を追いかける音。私はもうつま先立ちで、逃げ腰に急ぎました。 こんな姿勢でと思うでしょうが、本能的にこの構えが、何時でも身体をよけることが出来るのです。
風がゆするあの音、ザワ、ザワ。木々の悲鳴のように背中に張りついてきます。
この道には私が悲鳴をあげます。どこかに、崖の斜面を降りられるならと、見回しますが、崖はもう飛び降りるほかは無理。 ザワ、ザワという音はもう背中ではなく頭にかぶさるように追いかけてきます。
私は何処か道が切れるような場所を一心にさがしましたよ。有りましたね、獣道と云ううのかこれが杣道なのか、斜に、ジグザグな斜面、これを降りて柚木村に唯り付くかは、もうどうでもいいのです。
中腹までおりると、もう視界が見渡すことができました。 切り開いた斜面に何と畑があるではありませんか。それも桑畑ではなく、野菜畑。男の人が仕事をしています。
心境としては話が通じるのか、なにか私が異邦人になったみたい、東京から一人で来て、戻る先もわからず、他所の人を窺っている情けない自分。 たかが小一時間の散歩道です。でも子供心に感じた次元の違う場所では時間は関係ありませんでした。
降りてきた場所は他所の村です。 柚木村は東の方角へ、太陽が昇るほうに歩こう。
つづく
2010年5月25日火曜日
マネとモダンパリ

マネ回顧展、行ってきました。やはり ベルト モリズの絵がなんど見ても飽きません。黒の使い方が勉強になりましたよ。
昔こんな句を作りましたね。
喪の花の リラ胸に抱く マネの絵 ノブ
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「今年4月に東京・丸の内にオープンした三菱一号館美術館の開館記念展となる本展は、マネの芸術の全貌を、当時のパリが都市として変貌していく様子と結びつけながら、代表的作品により展覧しようとするもので、マネの油彩、素描、版画80点余が出品されます。また、同時代の作家たちの油彩、建築素描、彫刻、写真など約80点もあわせて展示し、マネが生きたパリの芸術的な背景も紹介します。日本でマネの作品をまとまった形で見ることができる貴重な機会です。」
期間: 2010年4月6日~7月25日
会場:三菱一号館美術館
(東京都千代田区丸の内2-6-2)
問合せ先:03-5777-8600
休館:月曜日
http://mimt.jp/manet/index.html
2010年5月22日土曜日
画集「KAYA 」初版
画集「KAYA 」初版の印刷が数週間であがってくるそうです。まずは試しに1冊。全部で70ページの初の画集になります。そのうちの数ページは以下からご覧いただけますので是非どうぞ。
転校生 第6回
私が喋り出そうとすると・・・窓際の背の高い子が立ち上がります。
「先生、その生徒は、東京から通うのですか?」
先生「いいや、皆と同じこの南多摩郡の土地で、生活し、同じ空気を吸うんだよ。皆、よろしく頼むよ。」
私は、すばやく彼らに頭を下げ「よろしくお願いします。」とだけ言い、自分の席と教えられた最後列の机につきました。その日はなんとなくぽつんと、過ごすだけで終わったのでした。
数日が過ぎ、私はいつものようにバス停で峠を越えるバスの時間を踏み切り番のおじさんと言葉交わしながらあと一時間をどう過ごそうかぼんやりしていました。
そこへ私たちの組のあまり目立たない男の子、名前は分かりません、彼が云うのです。
「俺、峠に家があるんだ、峠まで歩こうよ。」誘ってくれたのです。お互い、名前など呼ぶほどの仲ではありません。お前、俺の世界です。でもK君と呼ばれていたようにも思いましたね。
私は彼に聞きました。
「何時もなにしているの?」
「野鳥を山に取りに行くんだ。今度の土曜日つれてくよ。」
峠の中腹まで来ましたがまだこの先が急坂できつい登り坂になります。二人で崖ぎわの道を避け反対側の道路に座り込みました。
彼が喋り出しました。
「この峠を俺たちは猿丸峠と云うんだ。この天辺には、色んな鳥が林の上を飛びぬける空の道があるんだぞ。そこを通り抜ける鳥は頭を突っ込んで逃げられなくなるんだ。でも許可を持たない人は、そんなことしたら罰せられるだ。カスミ網を使わなくても、笊と紐さえあれば、ウズラでも野鳥でも採れるんだ。」
そんな話で時間を潰してもバスは来ません。私は腕時計など持っていなかった筈。急坂を一気にのぼれば峠です。
彼は峠の水が誰でも飲める所に連れてきて
「ここで水を飲み、前方の山の尾根つたいに降りて行けば、柚木村だよ。」と行ってしまいました。
峠の道を降りるより近いのは分りますが、一人で飛び込んで行くのには勇気が入ります。でも、もう段取りはできてしまったのです。
つづく
「先生、その生徒は、東京から通うのですか?」
先生「いいや、皆と同じこの南多摩郡の土地で、生活し、同じ空気を吸うんだよ。皆、よろしく頼むよ。」
私は、すばやく彼らに頭を下げ「よろしくお願いします。」とだけ言い、自分の席と教えられた最後列の机につきました。その日はなんとなくぽつんと、過ごすだけで終わったのでした。
数日が過ぎ、私はいつものようにバス停で峠を越えるバスの時間を踏み切り番のおじさんと言葉交わしながらあと一時間をどう過ごそうかぼんやりしていました。
そこへ私たちの組のあまり目立たない男の子、名前は分かりません、彼が云うのです。
「俺、峠に家があるんだ、峠まで歩こうよ。」誘ってくれたのです。お互い、名前など呼ぶほどの仲ではありません。お前、俺の世界です。でもK君と呼ばれていたようにも思いましたね。
私は彼に聞きました。
「何時もなにしているの?」
「野鳥を山に取りに行くんだ。今度の土曜日つれてくよ。」
峠の中腹まで来ましたがまだこの先が急坂できつい登り坂になります。二人で崖ぎわの道を避け反対側の道路に座り込みました。
彼が喋り出しました。
「この峠を俺たちは猿丸峠と云うんだ。この天辺には、色んな鳥が林の上を飛びぬける空の道があるんだぞ。そこを通り抜ける鳥は頭を突っ込んで逃げられなくなるんだ。でも許可を持たない人は、そんなことしたら罰せられるだ。カスミ網を使わなくても、笊と紐さえあれば、ウズラでも野鳥でも採れるんだ。」
そんな話で時間を潰してもバスは来ません。私は腕時計など持っていなかった筈。急坂を一気にのぼれば峠です。
彼は峠の水が誰でも飲める所に連れてきて
「ここで水を飲み、前方の山の尾根つたいに降りて行けば、柚木村だよ。」と行ってしまいました。
峠の道を降りるより近いのは分りますが、一人で飛び込んで行くのには勇気が入ります。でも、もう段取りはできてしまったのです。
つづく
2010年5月21日金曜日
観音崎より城ヶ島 第3回
ここから車は葉山へ。日はもう西へ傾き加減4時近くになります。
葉山御用邸近く、Iさんがこの辺でケーキ屋さんへ入ろう、と突然車を止めさせました。少し行き過ぎたけど、崖沿いに、成程、瀟洒な店構えがあります。車を坂上の一寸とした広場につっこみ、房総半島をも見渡せる海を眺めながら、その店へと出かけました。
入口のテラスからカウンターの受付迄待ってる人です。店の女性が予約の名前と人数をメモしていきます。でも、店の中で食べる人は割と待たずに入れています。並んでいる人達はお土産を買いに来ている人達なのです。私達三人は簡単に中に入り、注文することが出来ました。
なんで、ここは有名なんだろう、とメニューを見ますと「カフエ レストラン マーロウ」店の略歴は知らないけれど、早川ミステリーのファンなら、この咥え煙草の男性フィリップマーロウのことだとわかる筈。
私も私立探偵になった気分で、店内を眺めまわしました。インテリアも素晴らしく、調度も椅子テーブルも一級品。各席も幾つかの部屋で区切られ、ゆったりとした気分でカフェとケーキのひと時で感慨に耽ることができます。中折れ帽のひさしの陰からキラリと光るマーロウの目。
そこで店員の女性が入ってきて云うのです。
「当店は五時までの営業でございます。お土産の品も残り少なく、御注文の品がありましたら承りますが」

それで、私達も土産のプリン、ケーキなど買わされ、帰途に就くのでした。
Iさん、Tさん、一日お世話様でした。お陰様で楽しい旅でした。またどこか連れて行ってください。よろしく。
※プリンの有名なマーロウ
葉山店 三浦郡葉山町掘内2038-10
046-875-0412
http://www.marlowe.co.jp
お試しあれ。
葉山御用邸近く、Iさんがこの辺でケーキ屋さんへ入ろう、と突然車を止めさせました。少し行き過ぎたけど、崖沿いに、成程、瀟洒な店構えがあります。車を坂上の一寸とした広場につっこみ、房総半島をも見渡せる海を眺めながら、その店へと出かけました。
なんで、ここは有名なんだろう、とメニューを見ますと「カフエ レストラン マーロウ」店の略歴は知らないけれど、早川ミステリーのファンなら、この咥え煙草の男性フィリップマーロウのことだとわかる筈。
私も私立探偵になった気分で、店内を眺めまわしました。インテリアも素晴らしく、調度も椅子テーブルも一級品。各席も幾つかの部屋で区切られ、ゆったりとした気分でカフェとケーキのひと時で感慨に耽ることができます。中折れ帽のひさしの陰からキラリと光るマーロウの目。
そこで店員の女性が入ってきて云うのです。
「当店は五時までの営業でございます。お土産の品も残り少なく、御注文の品がありましたら承りますが」
それで、私達も土産のプリン、ケーキなど買わされ、帰途に就くのでした。
Iさん、Tさん、一日お世話様でした。お陰様で楽しい旅でした。またどこか連れて行ってください。よろしく。
※プリンの有名なマーロウ
葉山店 三浦郡葉山町掘内2038-10
046-875-0412
http://www.marlowe.co.jp
お試しあれ。
2010年5月20日木曜日
観音崎より城ヶ島 第2回
この町の反対側には北原白秋記念館のある「通り矢のはな」、
「雨は 降るふる 通り矢のはなを、利休ねずみの 雨がふる」
やっと記念館につき、嬉しいことに、入場料は、ここの教育委員会が管理しているので、無料。十分一めぐりして、投句用紙に一句。係のおばさまに発表は来月と言われました。
これから三浦三崎の漁港でランチです。「神湊」と宣ふ店の上がり「かまち」にある畳のテーブルにつくことができました。そこは、定食が二種類だけ、「わくわく」2千円と「ニコニコ」千5百円だけ。私は小食なので、ニコニコ定食にしました。Iさんはビールとお酒で、気分よく食事を終えましたが、神奈川県内は条例でどこも禁煙区間になり、愛煙家の二人は苦痛だったかな、とお見受けしましたが。
ランチタイムの時間が過ぎ、もう客は私達だけ。店の旦那も板場からいなくなり、急にお女将の口が喋りだします。こちら3人は口を挟む気もなく、「ここの店だけが輸入ものの魚を扱わず、よその店は地元の魚を扱わない」聞こえましたがね。
店を出て角店の干物店で、私達は今、能書きを聞かされたノルウェー産の鯖の干物、輸入ものだと聞かされた品物を買いました。どこの鯖でもサバは鯖、フランス語ならCA’VAどうってことはないさ!サバ ビヤンとでもいいましょうか。
駐車場で、車のトランクを開け、生もの、干物は発泡スチロールの箱に氷と共に押し込みます。
つづく
2010年5月19日水曜日
観音崎より城ヶ島 第1回
5月15日土曜の朝の7時、黒船屋を出発、Iさんの車です。運転の交代要員は勿論Tさん。三浦半島一周の日帰り気まま旅です。午前中なので横浜、横須賀をすどおりし、観音崎まで一息できました。
駐車場に車を入れ、まずは浜で一休み。ここで、出会ったのが写真のアフリカ インコ。尻尾が赤く、言葉を理解しています。「握手!」と呼びかけると、私の手を軽く握ってくれましたよ。インコの連れのおじさん、晴れの日は、毎日ご出勤らしく、観光客の人気ものです。
さて、腰を上げ観音崎灯台の螺旋階段です。結構足早に上りましたね。見学を終えて、ここから先、ハンドルを握るのは、Tさんです。そろそろ腹も空きかげん、城が島へ向かいます。城が島大橋をくぐれば、寡っての名残の三崎を望み、島の街中に入りました。先ずは軽く何処かで休みたい。 でも、表通の呼び込みのある店は駄目といい、裏道を抜けみつけました。運転する人は飲んでは駄目、Iさんと私と二人でビールです。 つまみは自家製塩辛、これは美味い、と云うう代物でした。お土産に持ち帰れるか、と聞いた答えが又気に入りましたね。
「お持ち帰りの時間が、二時間以内の方ならばお分けできます。」
結局、買えずに店をでましたが、岩場の海辺で、焼トウモロコシを齧りながら、塩辛が頭から離れない。
戻りの道もあの裏道を抜け、さっきの店に行き、中の娘さんに氷漬けにしてもらい買うことが出来ました。
つづく
2010年5月18日火曜日
青山学院クラス会
何時も欠席届でNさんに申し訳ないと思ってます。
私は小学生の頃、結核と言われ、一年留年しました。その後、青山学院中等部の昭和二十年に招集令状で、兵役になり、終戦後に我が家に戻りました。それ以来、学院とは疎遠になり、未だに卒業証書なるものも、見た事がありません。
それでと言うわけではありませんが、家内から「行ってらしゃい」と言われても 消極的になり、それに私を知る人もないと思います。
今年六月は、ウイーン、ザルツブルグへと出かけます。ウィーンフィルのビオラ奏者であるH氏と懇意にしてまして、彼からの誘いを実現する、最後の機会なのです。
私は小学生の頃、結核と言われ、一年留年しました。その後、青山学院中等部の昭和二十年に招集令状で、兵役になり、終戦後に我が家に戻りました。それ以来、学院とは疎遠になり、未だに卒業証書なるものも、見た事がありません。
それでと言うわけではありませんが、家内から「行ってらしゃい」と言われても 消極的になり、それに私を知る人もないと思います。
今年六月は、ウイーン、ザルツブルグへと出かけます。ウィーンフィルのビオラ奏者であるH氏と懇意にしてまして、彼からの誘いを実現する、最後の機会なのです。
2010年5月10日月曜日
転校生 第5回
バスは北野車庫から八王子行きの上りです。勿論、バスの停留所は峠までは見当たりませんでしたね。乗りたいお客さんは手を上げさえすれば、バスは何処でも止めて貰えるようでした。
土地の人には、自家用の車が生活必需品。小型自動車、ダットサン。自転車は村から村へ、農家から農家へ、電話の代わりをつとめる無医村なのです。バスは野猿峠には止まらず、降りの坂を北野京王電車駅まで降りる人は在りません。この駅裏が北野小学校です。
校門から正面に見える校舎は二階建の木造で、校庭は十五メートル四方位で小さな砂場の背の低い鉄棒がありましたね。所謂僻地の分校かな、と云う感じです。
教頭に連れられ、先ず教員室で校長先生、担任との挨拶をすませ、二階の教室に引率され、教壇に立たされました。男女共学で、四列で、一列四、五人、両端が男子、真ん中が女子です。
制服は勿論、ありません。女子は殆ど着物、男子も三分の一が着物でした。足元は裸足、スリッパ、草鞋。運動靴は私と級長の男子、副級長の女子が履いていました。
級長が立ち上がります。
「起立、先生に 礼!」生徒「先生、お早う御座います!」
言葉だけを並べますと、規律の整った整然とした教室に思えますが、殊に、窓際の男子たちは騒ぐは、喋るはで、先生が何云おうと、馬耳東風。
それでも、私が挨拶の言葉を喋り出そうとすると・・・・
つづく
土地の人には、自家用の車が生活必需品。小型自動車、ダットサン。自転車は村から村へ、農家から農家へ、電話の代わりをつとめる無医村なのです。バスは野猿峠には止まらず、降りの坂を北野京王電車駅まで降りる人は在りません。この駅裏が北野小学校です。
校門から正面に見える校舎は二階建の木造で、校庭は十五メートル四方位で小さな砂場の背の低い鉄棒がありましたね。所謂僻地の分校かな、と云う感じです。
教頭に連れられ、先ず教員室で校長先生、担任との挨拶をすませ、二階の教室に引率され、教壇に立たされました。男女共学で、四列で、一列四、五人、両端が男子、真ん中が女子です。
制服は勿論、ありません。女子は殆ど着物、男子も三分の一が着物でした。足元は裸足、スリッパ、草鞋。運動靴は私と級長の男子、副級長の女子が履いていました。
級長が立ち上がります。
「起立、先生に 礼!」生徒「先生、お早う御座います!」
言葉だけを並べますと、規律の整った整然とした教室に思えますが、殊に、窓際の男子たちは騒ぐは、喋るはで、先生が何云おうと、馬耳東風。
それでも、私が挨拶の言葉を喋り出そうとすると・・・・
つづく
2010年5月9日日曜日
2010年5月8日土曜日
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