「ごはんだよ!」と下のチビが布団をかぶり寝たふりをしてる私を覗きこむように起こしにきます。此の娘は何かと人のことをかまいにきて、夕方、土間のタタキに据え付けられた薪風呂に入っていても、「ぬるくない?」などと、風呂の中を覗きこむのです。
姉二人は母親の家事の手伝いに追われ、興味深く目線で私をおいかけますが、口を聞くような機会を避けているように振舞ってくれていました。会話はこちらから何かを頼む時、バスの時間を調べて貰う時、そんなこと以外はこちらの顔を見て、二人して笑いながら逃げてしまいます。
末娘がわたしの挙動を何かと報告をし、三人姉妹で何が嬉しいのか、首を寄せ合い、笑いが絶えませんでしたね。
今日は私の初めての登校日です。味噌汁が何時もと違い、ケンチン汁でした。鉄鍋が居間の囲炉裏にぶら下げてあり薪の燠火が赤く白い灰からのぞいています。おかずは、お新香さえあればもう十分。お茶碗が大きいのでそれだけでもう食べられません。
家のおやじさんはもう朝飯を食べ終え、登校の支度も終えて、私を待っているみたいです。一応ランドセルに筆記用具、ノートをぶら下げ、革靴を履いて行こうとしていたら、教頭のおやじさんから、声がとびます。
「運動靴で行きなさい。」続いて手拭を姉さんかぶりにしたおかみさんから声がとびます。「はい、これ、お弁当!」家族に見送られ土間のタタキに揃えてくれた、運動靴を履いて並んで門か出発です。
南正面に屋根の付いた門があります。家が少し高台にありますので、入口に立つと、柚木村の半分が見渡せます。バス通りにつながる農道が、車一台通れる位の幅で、桑畑の真ん中を通っています。桑畑が何坪か知りませんが、駐在所の二階屋があります。お巡りさんの姿を、見たことが有りません。でも、朝の通学に行くようになると、OL風衣装の娘さんとバス停で一緒になるのです。
まだ半月、知らない土地で、なんとなく挨拶出来る人、釣り具やのおじさん、家の三人娘の末っ子。駐在のこの姉さん。柚木村にも小学校は在る筈なのに、幸いなことか姿を見た事事がありません。
つづく
2010年4月2日金曜日
2010年3月30日火曜日
転校生 第3回

水車が動きはじめると、其処に一人で隠れるようにひっくりかえって居られるほど、私はませた子供ではありませんでした。捜しに来てくれる友達もなく、近所の大人の顔さえも見たこともないわけですから。
しかし、農道から一寸した広場まで出てくると子供でも入れる駄菓子屋みたいな釣り道具屋があるのです。小遣いだけは、母から持たされていましたから地元の子供たちより、いいお客さんだったはず。そのお店に気軽に出入りし、おじさんとも顔見知りになり、買い食い、釣り竿の道具一式を買わされ、赤っぱや、青はや、鮒釣りまで指導をしてもらい、何曜日には、ここで待ち合わせ川釣りに出かける約束さえもできました。
四月はもう半ば過ぎ。桜も散れば、学校の行事も収まり、私も来月から転校生として、その門をくぐらなければならない筈。東京の学校でも、団体でするスポーツも、野球ですら手を出すことがなかった私。そんな一風変わった男の子が、どんな扱いをされるのか・・・彼らより私は一年留年してきたわけでそれほど不安はありませんでしたね。
つづく
2010年3月29日月曜日
転校生 第2回
この村には水道の設備が有りません。野猿峠の山裾に寄った林を見上げる一画にある農家です。裏に回ると、岩肌から流れ落ちる水をためるように岩を彫り込んだ小さな洞窟が唯一の水源地なのですね。
周りをセメントで固め、甕を据え柄杓が差しこまれていて、炊事、洗濯もそこで出来るのです。
家は、山裾ですが幾分高台になっていて、南口正面の門構えに寄りかかって下を見渡せます。桑畑の中央を農道がバス通まで幾分広く伸びていて、後は多摩丘陵にかこまれた寒村。一時期、新聞などで、無医村と取り上げられたことなどがありましたよ。
この環境に慣れるまで私はまだ今度の学校に登校してはいませんでした。先ず興味を持ったのは、水車小屋です。幅50、60センチ程の小さな小川に掛けられた水車。小屋の中は、臼が四つ据えてあり、臼の上に杵が横棒に垂直に吊るされてあるだけ。人がいるのを見たことがありません。でも、せき止めてある水路の水が流れだすと、小屋の中が、あの杵がガッタン、ガツタンと働きはじめるのです。
つづく
周りをセメントで固め、甕を据え柄杓が差しこまれていて、炊事、洗濯もそこで出来るのです。
家は、山裾ですが幾分高台になっていて、南口正面の門構えに寄りかかって下を見渡せます。桑畑の中央を農道がバス通まで幾分広く伸びていて、後は多摩丘陵にかこまれた寒村。一時期、新聞などで、無医村と取り上げられたことなどがありましたよ。
この環境に慣れるまで私はまだ今度の学校に登校してはいませんでした。先ず興味を持ったのは、水車小屋です。幅50、60センチ程の小さな小川に掛けられた水車。小屋の中は、臼が四つ据えてあり、臼の上に杵が横棒に垂直に吊るされてあるだけ。人がいるのを見たことがありません。でも、せき止めてある水路の水が流れだすと、小屋の中が、あの杵がガッタン、ガツタンと働きはじめるのです。
つづく
2010年3月27日土曜日
転校生 第1回

南多摩郡 柚木村に私が預けられることになりましたのが小学六年生のときでした。前の尋常小学校に在籍していた時、背が低く整列は先頭が決まりでした。当時も、小学校も中学校も、勿論義務教育です。でも私は進学出来なかった事情を抱えていたのです。 それは、結核。検査にひっかかって、多分、母の希望と私立中学に行かせたかった担任とのなんらかの話合いが 田舎の学校に六学年をもう一年留年させるということになったのです。
柚木村は殆どが桑畑です。農家は蚕糸 サンシ糸業を営み藁ぶき家の中の二階に、敷きわらの上に桑の葉を
敷きつめ、蚕を育てているのですね。初めての夜は、蚕が桑の葉を食べるその音に、なにを二階で飼っているのか。。。寝付けませんでした。
昼間人気のない時を見計らって覗いて見ることにしました。二階と云っても階段五、六段の棚、敷き藁が二十枚位を敷きつめたところに桑の葉が盛り上がるように敷きつめてあります。そこで、初めてみたのが白い親指位の芋虫、蚕、カイコです。
口の周りと云ううか、顔の部分が茶いろの皮で蔽うわれている。四回の脱皮をし成長し、絹糸を吐いて
繭を作るのだそうです。この村、畜蚕チクサンと機織りハタオリで 生業ナリワイの生活をしている寒村なのです。
そこの主人が、今度世話になる、北野の小学校の教頭先生です。家族に娘が三人、母親は、おかみさんと云う感じの人でした。
つづく
2010年3月22日月曜日
貴女への弔歌

たまたま新聞の訃報で知りました。
畑中更予さんに初めてお目にかかりましたのは、私がまだ三十歳頃、アテネフランセに通学していた頃、同じ教室の女性、Mさんがそのきっかけを作りました。その女性Mさんは中学の絵の教師。私より一つ二つ上の家柄を思わせる上品な、私にとって初めて知る年上の女でした。畑中更予さんのお話をするには、どうしてもここを通らなければなりません。
御存じのように、畑中ご夫妻はオペラ歌手でいらっしゃいます。お住まいは当時荻窪にありました。Mさんとも同じ中央線ですので、私とは何時も一緒に帰る仲。新宿は何時も二人で歩くpromenade、何を喋っても飽きず、休む店は、新宿風月堂、中村屋、長引く時はクラッシック喫茶でしたね。たまに、伝票が見当たらないとレジで言われました。「お隣の方がお支払いにならましたが。」
そんな年月のある日、私はMさんの家に招待されました。家の場所は、勿論夜遅くなればその前迄送るのですからよく承知しています。彼女の母の品定め、と云うか、年下の画学生みたいな若者が、何処まで、何を考え我が家の娘が、亦、情けない!と、思いがあった事と思います。
たまたまそのお屋敷で紹介されました。Mさんの家を半分お借りになっていらしゃる畑中更予夫人との出会いなのでした。
しなやかな肢体、大人の雰囲気をさりげなく身に付けた動作。矢張り何者かと思わせるものは、芸術家ならではあらわせないお人ですね。
そのころ、私達仲間、同年代で、毎月何らかの作品を持ち寄って一冊の文集と云うか、絵、詩などをまとめた小冊子を回覧していました。それに載せました私の詩を大変気に入ってもらいまして、そこで3人で、詩人の話で盛り上がり、それから、リルケの話に、彼女はため息をつくほどの熱のいれかたでした。私もリルケの窓は、絶品です。それに堀辰雄の日本語役は傑作だとおもいます。
そんな彼女のために「オッフェリヤ」と云う詩を書きました。どなたかにお渡ししたか、何回目かにあの広間で会ったは知りません。でも、その詩は読んでいただけました。 更予さんが、「この詩私に下さい。」と、云ってくれました。嬉しかったですね。
でも私、その詩はもう覚えていないのです。わずかに、記憶に残る、最後のフレーズはこんな風に書いたように思います。
更予さん、貴女への弔歌です。
「流れていけ テームズ川よ アナタの歌声が 消えるまで
歌声が アナタの歌声が 私の胸に流れるならば」
ノブ
2010年3月17日水曜日
トビエイの作品


私の通院中、ドクターW先生とある日のこんな遣り取りがありました。
聖路加病院 W先生
あの頃は検査続きで心身共に辛い時期でした。でもあの病棟で私はあのエイの写真を目にしたのです。どなたのエイの写真かは勿論知る筈がありませんでしたが、壁面に掛けられた額の中に遊泳するあの生き物エイに乗せられるように、癒されるという気持ちを貰ったのです。
きっと、他の患者さんの方々も同じような気持ちをお持ちになった方々がいらしゃると思います。海の中って、先生、いいですね。後に私はそれが先生の作品と知りました。
私は着物の古布で魚などをを制作しております。エイの作品も以前熱中して造りましたがまだ未公開なで、先生の写真とここにに乗せますね。お時間がありましたら、私共のブログをご覧頂けたらと勝手なブログでのでの御挨拶です。お写真、ありがとうございました。
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