2010年2月25日木曜日

千鳥ヶ淵の花椿


松尾芭蕉
落ざまに 水こぼしけり 花椿

ママ
椿の花は一般的に葉っぱの下に地面に下向きに咲きます。冬の寒さから身を守るため。散歩中に見つけたこの椿の花は珍しく上向き。花が散る時は花ごとポタリと落ちるので芭蕉の俳句が理解できますね。


マスター
皇居前、千鳥ヶ淵を散策中、芭蕉の 初めて知るこの句 。素敵な読み人知らずとも、現代に花咲く一句だと思いました。

2010年2月23日火曜日

春の珍事


 その頃、女主人は肩と首を痛めて、毎週マッサージ師に来てもらっている状態でした。その青年は彼女の部屋の調度品、ピアノや譜面台、ヴァイオリンがいやでも目につきます。
 
 そんなある日、彼は女主人に何かを持ち込みました。
青年 「これ、見てもらえませんか?」
見れば、ヴァイオリンケースです。
彼女 「どうしたの?」
青年 「今は楽器は弾いておりません。楽器は毎日弾いて音を出していないと駄目になるそうです。この楽器を宜しかったら使ってもらえませんか?」

 女主人はアマチュアオーケストラのメンバーですが、まだ十年ちょっと。困惑と自分のヴァイオリンにやっと馴染んだところです。でも、その楽器への興味は隠せません。

 やっと、口をひらきます。
彼女 「どんな楽器ですか?」
青年はケースを引き寄せ、お互い不安げに中を覗き、取り出しました。
彼女 「随分古いものね。」
青年 「これ、クレモナです。裏にサインもあります。宜しかったら、当分使ってもらえませんか?」
彼女 「遣わして戴けるのはうれしいけれど、この駒の高さを調節しなければ、私には無理よ。それでもよければ。」

 話はなんとなくまとまってしまいました。
その日、土曜日のオケの練習に女主人は二つ楽器を提げ、颯爽とお出かけ。
 オケのプロの話では、ものは、サインも本物、値段は二千万円位、あとは持つ人の気持ち次第、と云うことになりましたが・・・
 この楽器、一年位使いましたね。その後は・・・・?

2010年2月18日木曜日

桃の節句


K2画伯さん

 お孫さんの桃の節句にお行きになる三月三日の雛祭り。
K2画伯の顔が緩んでくる様子が、スカイプがなくても見え見えですね。
 私はまだジジ、ババの世界は知りません。でも、先生と違って甘酒は好きですよ。白酒を飲まされて、困惑していらっしゃる姿も楽しいですね。

 三月三日、K2画伯一家に乾杯!
 お嬢さんのデザイン センスに乾杯!
 お酒の苦手な御主人に、よろしく乾杯!

 下町の 路地にも光る 桃一輪                                                ノブ

2010年2月17日水曜日

城之崎から伊根 四人旅 第2回 隠れ宿


一昨年行ったかみさんの隠れ宿
この舟屋、高みの山から望めば、憧れの北の日本海です。

観光されてない、ひっそり重く生きている姿に心を通わせる
人生の悲しい 
不可解な旅 
或る夕べ 
ある白雪
 
今年もまた来てしまいました。
でも、みんなは、私に蟹を食べさせる、そのことが目的。
宿の部屋も、今回は隙間風も、忍びこまず改築され温か。 
部屋も四人十分、楽に寝られました。  
セ ラヴィ !

2010年2月15日月曜日

城之崎から伊根 四人旅 第1回


 みぞれの降る城之崎駅から雪とは覚悟をしていたものの、この雨。
 情けない。空を見まわしても、荷物を提げ、傘をさしてバス通りを宿迄近いとはいえ、車を見つけるより仕方がありませんよね
 駅前の藤村の石碑。雨を避けるように屋根に寄り、句碑に目を通しました。夏七月八日の涼しい朝曇りの便りの一節でした。
 私達はうす曇る身体に沁入る北近畿タンゴ鉄道の観光ガイドブックに頼らずこの白樺派文人の集うこの城之崎の歴史と、私達の現代人との接点の共感を求め、「Middle of Nowhere」の多分に異邦人的な吾々の温泉旅行の出発点です。
 
 やっと車を拾い、但馬旅館の玄関先。宿に入るには時間が早いので、荷物だけを預け、宿の名前の入った番傘風の傘をかり、 チラチラ雪になりそうな空。
 バス通りは今、車の中から何となく覗きこんできたので、目指す方向は山裾の川の方と皆が漠然と歩いてしまうところが、このメンバーの 凄いところ。
 
 矢張り、流れる川の両サイドに、いろいろな風情の旅館街です。
先ず驚かされるのは表通りと違い、表門から玄関先迄の奥行の深さですね。川に沿って歩いているので、お互い二組で、写真を撮り、勝手に横町に入り込んで、姿が見えなくなっても心配はしませんよね。
 私は携帯での写真撮影なので、明暗もピンとも思うようには撮れません。川沿いの山裾は人も通らないけど寒さがきついですね。
 
 少しは明るく、温かい人どうりのある雰囲気を恋して、中通を抜けようと角を曲がると通りの看板に、「文芸館通り」の文字。勿論、ここに入り志賀直哉の「城之崎にて」を若い頃読み、一度はここに行くことをこの年迄望んでいた街。当時の教養で見えなかった喪は何か、何が私をここまでひっぱてきたもとは。
 中に入ろうと覗くと学生グル-プ達が揉めているのです。結局皆出てきてしまい、中に入ろうとするのは私達だけ。入場料大人六百円程。この値段で学生達が揉めていたのです。私も高いと感じます。東京ではこういう文化財の催しを、区、街が積極的に応援してますね。でも、ここは観光地、値段云々はやめときましょう。
 
 ガラス越しに白樺派の文人、歌人、詩人の十六人位は覚えていても、その外は覚えがありませんね。この時代のひとは筆法、それぞれ個性的なうえ、魅力的です。
 掛けてある軸も結構なのですが、下に並べられた小型本など、中身は無理でも、折に触れて館のパンフレトなどに紹介したら、と思いますが、私達が見回したところ・・・入場料は良くても、一つもパンフレトの類は見当たりませんでしたね。

 作者名 失念
 
 雪の城崎 
    あの子の 髪は溶ける沫雪   
                わがこころ


 そんな気分で、外に出ました。宿の夕飯迄、一時間一寸あります。
 お土産屋をのぞきながら、ふと、店の奥に紅い絨緞の甘味喫茶がありました。温かい飲み物の恋しく、靴を脱ぎ上がりこみました。のんべいの0さんが先ず、ゼンザイ と、叫けびます。後はみんな同じくです。
 回りを見回すと、壁面に美人画の版画を作って居た頃のあの懐かしい夢二のデザインの小布、江戸裾の、だれの花嫁衣装か、などが吊るされてあります。ついこないだ、東京某デパートで夢二回顧展を見てきた私。これも黒船屋の店の御縁でしょうか。
 宿に戻ろうと立ち上がりかけた時、うちのかみさんが、壁の一枚の美人画を指差し
「このモデルさん 日本人ではありませんね!着物の着付けが、左前!」
そう言えば、夢二はアメリカ サンフランシスコにいたそうでした。その時世話になってた家族のお孃さんと親しくなったと聞きますね。多分モデルは そのひと かもしれません。そんな話で解散しました。 
 結局其処の土産品を、持ち帰るお土産に買い漁りましたよ。
 昏い横町で藪椿と目が合いましたので。一句つくりましたので、御笑覧。

  
 昏ゆえ 藪の椿に 魅られけり

                       ノブ

2010年2月9日火曜日

子供達と夏休み


 「子供達」と云える言葉は、そう、小学生の頃のことしか、考えられませんね。
 夏休みの学校の宿題。絵の宿題はパパ、工作の宿題はママと、子供はもう勝手に自分達で決めている頃です。
其の頃は、夏の太陽のように、息子も娘も眩しく、私の夏休みでもあり、思い出す私の第二の青春でもありました。

晴海埠頭へいつもの二台のオンボロ自転車で、私たち三人は颯爽とでかけるのです。夏休みの街は、もう人の気配がありません。 車も、東京湾方面に行くようなトラックさえも見当たらないのです。素敵な、青天井の遊び場。鼻歌の一つも口から飛び出します。
 すると、息子が勝手に、叫ぶように歌うのです。それも、当時大ブレークしたあの歌「ルビーの指輪」寺尾 聡の真似をして、ハミングしながら、ついには自転車二台を寄せ合って叫ぶ始末。
 
 埠頭では、丁度、外国船が停泊していて荷あげ人足が、艀「ハシケ」を忙しそうに上り降りしてる港風景です。息子は画用紙を広げ、無心に手を動かし、しばらくして「これでどう?」と。岸壁と船、 働いてる人らしい人物。
 
 私も大満足でベンチに足を伸ばし、西日に傾く太陽を、この紅の空が、何時までも過ぎ去らないようにと、眺めながら帰途につきました。

 写真はあの頃息子が夏休みに書いた絵です。数十年経ってこれらの絵を見ると、子供の絵は素晴らしいと思わされます。

 え?どうして夏休みの話?それは息子の剣道のお弟子さんが常夏のグアムから帰国して我が家に息子と立ち寄り、昔話に花が咲いたからでした。

2010年2月7日日曜日

春はそこまで


 娘から送られた写真。事務所の先生が、サンタクララで昼メシ時にお撮りになったポーズが目に浮かびますよ。でも これ、桜ではありませんね。桜は花が咲き、その後、葉が伸びて、それから、葉桜です。サンフランシスコの陽気でも、ちょっと無理ではありませんか。冬桜もありますが、こんな大木は知りません。花木に詳しいママによれば「ズミ」の花ではないかとのことです。
 花は春を呼び 小鳥達は葉隠れに恋心を囁く
素敵ですね!

鈴鳴らす 路加病院の 待つ春は 貴方の胸に咲く桜    ノブ

2010年2月5日金曜日

ジャンセン展 


ジャンセンの展示会がある。家内に云われ八重洲迄歩きましたよ。
丸の内側に出るには、構内を南から北側通路を横断します。最近駅構内は殆ど改築中。まるで、田舎者のように、躊躇いながらトンネルの様な通路を抜けだし、皇居側に出たものの・・・丸善は京橋にあった頃しか知りません。尋ねるにも立ち止まっている人なんか、いない。大東京の人種。目線を左から右に移し・・・Mと云う金色の彫り込んだビルがあります。Mが丸の内でも、丸善でも、信号待ちの人波に付いて、渡り、その建物の前まで行きましいた。一見、丸善ではありません。
 
 植木を手入れしてる職人さんに声をかけました。  
「ここ、 丸善ですか?」
「丸の内ホテル。丸善は、この後ろ。」
 やっと、入れたと、一階を見回しても飲食店、エレベーター、エスカレターの前で、人込みに茫然とするだけ。なにしろ エスカカレーターで上にあがると、建物が二手にわかれています。私の立つているところは何かの会場ですが、違います。中に入り、カンターの女性に聞きます。
「ジャンセンの展示場はどこでしょう?」
「ジャンセン?分かりません。丸善なら向こう側のビルです。」

 二つのビルの間に高架橋見たいな手すりの渡り廊下があり。下をお見下ろしながら、丸善のビルまでやっとたどりつきましたよ。

 店内に入ってまた、分かりません。また尋ねます。
「ジャンセン展示場はどこですか?」
「ジャンセンは知りませんが、展示場は四階反対側のエスカレートでどうぞ。」
 
 でもまた、尋ねるのです。
「展示場は何処?」

 やっと見つかりましたね。ざっと見渡して四十点程、リトが半分、自記筆が数点初期油絵が一点。まだ健在の九十四の画伯です。
 踊り子風の若い女。この絵が目を惹きつけました。私が所有してる「横たわる女」と同じモデルと思われます。立像、それに表示名が、なんと「バルバラ」!
 私の前で、その絵を鑑賞していらっしゃったマダムと係りの若い男性。私も横に並び、つい、
「リトはいいですね。私も、この手のリトを二十年程前、手にいれましたが、当時もいい値でした。」

 そのリト(上の写真です)を手に入れた時、デッサン直筆の女性像もありました。その前から三十分ほど立ち去れなかったら、支配人が、「そんなに気にいっつてくださるなら、この写真をさしあげます。」といただいたのが横の写真です。ちなみに、その画の価格は一千二百万円でした。




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東京丸の内 ジャンセン展
約30点が展示販売されるとのこと。
場所:丸善 丸の内本店 4Fギャラリー
期間:2010年2月2日から2月11日
お問い合わせ先:03-5288-8881

2010年2月4日木曜日

いなりばし-ママの独り言


 桜川の入口に昔かかっていた橋。
そう、「いなりばし」
私の好きな永代橋の小型の感じでした。
桜川の埋め立ての時、取り外されてしまったのです。
残念ながら写真は一枚も残っていません。
おばちゃんに預けたアルバムに勝鬨橋が開いた写真もあったけど、今となっては・・・!

2010年2月2日火曜日

誰もいない窓


みぞれがボタン雪になり

ただ白い

ただ降りつづく

胸に溶ける 冷たい 白い雪

2010年2月1日月曜日

竹久夢二展 2010年1月20日


日本橋三越、竹久夢二展に行って来ました。良かったですよ。初公開の「最後の油彩画」ほか美人画の名品が展示されていました。夢二は晩年サンフランシスコに居たこともあり、モントレーの絵もありました。私も娘宅、サンフランシスコで絵を描きますかね。

期間:2010年1月20日から2月1日まで
詳細はこちらhttp://www.mitsukoshi.co.jp/store/1010/yumeji/