
みぞれの降る城之崎駅から雪とは覚悟をしていたものの、この雨。
情けない。空を見まわしても、荷物を提げ、傘をさしてバス通りを宿迄近いとはいえ、車を見つけるより仕方がありませんよね
駅前の藤村の石碑。雨を避けるように屋根に寄り、句碑に目を通しました。夏七月八日の涼しい朝曇りの便りの一節でした。
私達はうす曇る身体に沁入る北近畿タンゴ鉄道の観光ガイドブックに頼らずこの白樺派文人の集うこの城之崎の歴史と、私達の現代人との接点の共感を求め、「Middle of Nowhere」の多分に異邦人的な吾々の温泉旅行の出発点です。
やっと車を拾い、但馬旅館の玄関先。宿に入るには時間が早いので、荷物だけを預け、宿の名前の入った番傘風の傘をかり、 チラチラ雪になりそうな空。
バス通りは今、車の中から何となく覗きこんできたので、目指す方向は山裾の川の方と皆が漠然と歩いてしまうところが、このメンバーの 凄いところ。
矢張り、流れる川の両サイドに、いろいろな風情の旅館街です。
先ず驚かされるのは表通りと違い、表門から玄関先迄の奥行の深さですね。川に沿って歩いているので、お互い二組で、写真を撮り、勝手に横町に入り込んで、姿が見えなくなっても心配はしませんよね。
私は携帯での写真撮影なので、明暗もピンとも思うようには撮れません。川沿いの山裾は人も通らないけど寒さがきついですね。
少しは明るく、温かい人どうりのある雰囲気を恋して、中通を抜けようと角を曲がると通りの看板に、「文芸館通り」の文字。勿論、ここに入り志賀直哉の「城之崎にて」を若い頃読み、一度はここに行くことをこの年迄望んでいた街。当時の教養で見えなかった喪は何か、何が私をここまでひっぱてきたもとは。
中に入ろうと覗くと学生グル-プ達が揉めているのです。結局皆出てきてしまい、中に入ろうとするのは私達だけ。入場料大人六百円程。この値段で学生達が揉めていたのです。私も高いと感じます。東京ではこういう文化財の催しを、区、街が積極的に応援してますね。でも、ここは観光地、値段云々はやめときましょう。
ガラス越しに白樺派の文人、歌人、詩人の十六人位は覚えていても、その外は覚えがありませんね。この時代のひとは筆法、それぞれ個性的なうえ、魅力的です。
掛けてある軸も結構なのですが、下に並べられた小型本など、中身は無理でも、折に触れて館のパンフレトなどに紹介したら、と思いますが、私達が見回したところ・・・入場料は良くても、一つもパンフレトの類は見当たりませんでしたね。
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作者名 失念
雪の城崎
あの子の 髪は溶ける沫雪
わがこころ そんな気分で、外に出ました。宿の夕飯迄、一時間一寸あります。
お土産屋をのぞきながら、ふと、店の奥に紅い絨緞の甘味喫茶がありました。温かい飲み物の恋しく、靴を脱ぎ上がりこみました。のんべいの0さんが先ず、ゼンザイ と、叫けびます。後はみんな同じくです。
回りを見回すと、壁面に美人画の版画を作って居た頃のあの懐かしい夢二のデザインの小布、江戸裾の、だれの花嫁衣装か、などが吊るされてあります。ついこないだ、東京某デパートで夢二回顧展を見てきた私。これも黒船屋の店の御縁でしょうか。
宿に戻ろうと立ち上がりかけた時、うちのかみさんが、壁の一枚の美人画を指差し
「このモデルさん 日本人ではありませんね!着物の着付けが、左前!」
そう言えば、夢二はアメリカ サンフランシスコにいたそうでした。その時世話になってた家族のお孃さんと親しくなったと聞きますね。多分モデルは そのひと かもしれません。そんな話で解散しました。
結局其処の土産品を、持ち帰るお土産に買い漁りましたよ。
昏い横町で藪椿と目が合いましたので。一句つくりましたので、御笑覧。
昏ゆえ 藪の椿に 魅られけり ノブ