
水車が動きはじめると、其処に一人で隠れるようにひっくりかえって居られるほど、私はませた子供ではありませんでした。捜しに来てくれる友達もなく、近所の大人の顔さえも見たこともないわけですから。
しかし、農道から一寸した広場まで出てくると子供でも入れる駄菓子屋みたいな釣り道具屋があるのです。小遣いだけは、母から持たされていましたから地元の子供たちより、いいお客さんだったはず。そのお店に気軽に出入りし、おじさんとも顔見知りになり、買い食い、釣り竿の道具一式を買わされ、赤っぱや、青はや、鮒釣りまで指導をしてもらい、何曜日には、ここで待ち合わせ川釣りに出かける約束さえもできました。
四月はもう半ば過ぎ。桜も散れば、学校の行事も収まり、私も来月から転校生として、その門をくぐらなければならない筈。東京の学校でも、団体でするスポーツも、野球ですら手を出すことがなかった私。そんな一風変わった男の子が、どんな扱いをされるのか・・・彼らより私は一年留年してきたわけでそれほど不安はありませんでしたね。
つづく