勝実さま
貴方達と渋谷の道玄坂 丸山町のお婆さんが一人でいるミルクホールで、
何となく四、五人集まり「青山文学」という同人雑誌を作る編集会議をしましたね。
三号雑誌迄、だしましたっけ。
あの時、貴方が編集長。私は頼まれて一号誌にカットと詩を載せたようにも思いますが、あの「青山文学」は何処に行ったのでしょう。あの頃が、青春? 文学に熱中、モーツアルトのト短調シンフォニーに惹きこまれ、熱に浮かされ街を彷徨い歩いた時代。懐かしい!
この歳になり、昔から絵画一筋に、今も個展の案内をくれる、ある女性。
会うのが、複雑な思いで、こんな文章を送りました。
「ジョイスの、ブルックリンの港湾人足の喧騒、
エリオットの荒地第二部
テームズ河の界隈の下町
共通する卑猥さの中に人間関係を、グロテクスの血を流すことによって、
繋ぎとめようとする。
千葉に十五年住んでみて、卑猥さだけが、人間関係を保つ方法だ。」
と、書いたことがありましたね。
近頃、マチスの画集を開き、思い出すのですが、「戦後」の荒廃した中で、
当時こんなにも透明な世界があったのかと、ヨーロッパの文明に憧れました。
それなのに今、私の中にあのグロテクスな悼みも、マチスの色彩も、強く心に跳ね返る力で、迫って来ないのは何故だろうー。
蒼白なセザンヌの林檎だけが、昔と同じように気になるだけです。
嗚呼、滑稽なことに「人間は考える葦」にすぎないのだ。
カント哲学「我思う故にわれ在り」のパスカル的逆説ですね。
やよ蒼き魔女 恋しかり 冬薔薇
ノブ
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