その道は、私たち二人が毎月一回は行き来する箱崎の川沿いの社。小さな祠で庭石を倍にした大きさの石に白蛇がとぐろを巻いてこちらを見ている感じの図がらが彫り込んであります。
石は多分最初からそのような形態をしていたものに手を加えたのだと思いますが、ここに供物をあげお参りにくるきっかけは蛇の大嫌いな彼女が、或る夜、夢で白蛇に巻きつかれ、それも同じ夜に二回も。ショキングな事態に夜就寝に付けません。白蛇に巻きつかれる夢などは昔から縁起の良い夢と言われてる。一度、箱崎に
こう云う社が有るからという切っ掛けがあったのです。
心配事、身体の具合の悪い時、何かとここにはお願いに参ります。今では馴れ馴れしく、「じゃぁねー。」なんて、友人に話に行くような親密さで会いに行きます。
その箱崎の帰り、歩道に張りだした藤棚のある、一階が倉庫に使われてある家が有りました。五、六月は其の下で藤の花を見上げ、しばらく佇み、店の中を覗きこむのは、其の店に古物商の看板が隅のところに、掛けたあるからです。
でもそれらしきものはどこにも見当たらず、壁面に櫂、櫓、船の部品と思われる厚い板。でも和船は規格品ではありませんね。それぞれ大きさの相異がある筈。其のままでは使えない筈。私の店に沈没船が長年引き上げられずに、流木の様に朽ちる寸前の船尾の部分を潜り、手に入れた私の親しい大工の親方が、店の開店記念にこれを安房小湊から持ってきていただいたものがあります。
木材は悼んでいませんが、くいこんだあの船釘が赤黒く錆で現物の半分にもやせ細り、板は流木をこのむ好事家が珍重、垂涎の的の無数の虫に細かくつけられた穴、この海の虫の穴の数で流木の価値が決まるといわれています。
そこにある船具類はまだ新しく、家具類を作るには適していますが、其のままでは何の飾りにはなりませんね。でも櫓は違います。壁、ルームに掛ければ立派な調度品です。ただそんな空間を持った住まいは、下町の平屋家では無理と云うもの。
下町育ちのカミサン、船のこと、川、橋、橋梁のことなら知らないことがない。反対に山の手しか歩いたことのない私は、橋といえば、お茶の水、聖橋、アーチ橋。若い頃身の軽さを誇って、あのアーチの欄干を歩いて見せていましたよ。
カミサンの幼児体験に船に対する忘れられない想いが、彼女の父親と深く関わっているようです。私は生前もお目にかかってはおりません。彼女の父親は船乗りで、隅田川の蒸気船を任され、船で就業中、お倒はれになりました。合掌。
彼女の忘れられない幼い頃、父の船で、隅田川を上下して、初めて見る色々の橋を教えてもらえた事。父の非番の時は稲荷橋下から、箱船、所謂「猪牙」に乗せられ、今はない、石川島播磨の工場の下、船から秋空を眺め、父の漕ぐ櫂。ハゼの釣り糸を垂らし、自分も一丁前の娘気分です。もうこれは一生忘れられない想い出になったはず。
その緒牙船の櫂が古物商の店で手に入るのかもしれない。そこの店主と話してみたいし、もしかしたらの値段だったならと、その店の前を通るその度に覗くのですが人かげが有りません。
そんな暮れも押し迫った日当たりの恋しい暮れの最後のお参りに出かけ、いつもとは反対の日当たりの歩道から、チラリとあの倉庫を眺めると、店先で仕事着のおじさんがいるではありませんか。
彼女は車を確かめ、急ぎ足でその倉庫のおじさんの前に立ち、先ずは話の切っ掛けを話しかけます。
「何を作ってているのですか?」
「植木を乗せる台を作るのです。」
「藤の棚は無くなりましたね。」
「ああ、歩道を汚すからね。」
「以前、ここに和船の櫂が有りましたよね?」
おじさん、少し真剣な顔になりました。
「あの櫂を手に入れたのは、石川島播磨の工場が解体された頃だよな向こうから、邪魔だから貰ってくれといわれたんだよ。」
彼女も真剣になります。
「それで、あの櫂、三本有りましたよね。どうなったのですか?」
「ああ、あれはね、深川の堀で和船を動かす知人に欲しいと言われ、あげてしまったよ。」
「まだ、猪牙船を動かしてる人もいるんですね。本当はあの櫂が欲しかつたの・・・・」
其の話をいつの間にか、自転車のハンドルに寄りかかり聞いていました、おじさんの奥さんが、
「それなら、もっと早く話してくれたらよかったのに。」
でも、話はそれで終わりませんでした。 オチがあります。
彼女は気を取り直し、
「でも頂けたとしても、湊町まで持ち帰れませんよね、大きくて。」
「港町櫂、おいら湊三丁目だからもって行ってやれたのに!あの櫂は大きくて、家で持てあましていたんだよ。」
がっかりしたのでした。