北条秀司の句碑
「雪ふれば 佃は古き 江戸の島」
新橋演舞場で演じられた「佃の渡し」の最終公演を終え、この碑の立ち上げに二人して出向かれたと聞きます。如何にも劇作家らしい句。みなさん御承知のことと思います。
私の店にかけてある 五所平之助の句、映画監督であり、春灯を主催しました久保田万太郎氏などと活躍しました俳人、この句も如何にも、映画監督と思わせる作品です。
私の兄が、東宝映画時代から助監督をしておりましたので、開店のお祝いにいただいた作品、その時先生は私にこう聞いたのでした。
「どういう俳句が欲しいですか?」
私は躊躇いはありません。「黒船屋」と屋号を付けた以上、答えは、大正ロマンの雰囲気のある句が欲しい。先生は開店にあわせてご自分で板に漆を塗り、黒地に白で書いていただいた句。カメラから覗いたワンカットそのままの俳句です。
「ふる雪が 別るるひとの 瞳にも降る」 平之助

五所亭さん。活動屋という人種の仲間は、こんな呼び方をしますね。
平之助さんは、「一寸何か書くものない?」と、色紙でなくても気楽に句をお書きになり、署名は五と云う字がお好きで、色々な形で丁寧な署名を入れられました。
私が北条さんの句碑の前に立って、この二つの句を紹介したくなる気持ちが多分分かっていただけたものと思います。
五所さん、アデイユー ボンボアイヤージュ! では、さよう、ならば!
私の店から、佃島、ああ、もう島ではありませんよね。歩いて橋二つ渡れば二、三十分で戻れます。普段の日でも、ある晴れた日でも気持ちの揺れるままに歩るいてきます。佃大橋から回るか中央大橋から出かけるか、陽がまだ西に傾かなければ、中央大橋です。
佃大橋からの階段を登る際、目に着くのが佃の渡しの跡を記した記念碑です。これを横目でちらっと、捨て目を遣い橋桁を登ります。ふと、思うのです。
「渡し船が有る島なら島のどこかに、渡船宿が何処かにあっても可笑しくはないはず。」
たまたま、今日、身体のバネが良いので、町の周辺を当てもなく歩きました。でも、ない!ないのですね。
家に戻り、下町育ちの家内に尋ねました。答えは簡単明瞭でしたね。云うには、
「佃は流人を寄場人足として流した場所でしょう。旅館なんか有るわけないでしょう。」
なるほど、でも釈然としません。新派でも、映画でも、島に渡り愛人同士が悪天候のため、船が出ず、宿に泊りこむはめになるストーリー。あれはやはり映画の話なのか?でも石川島はそうでも、佃職人がいた町には旅人宿位有る筈だと思うのですが。サンフランシスコのアルカトラスの監獄みたいな、島なら別だけどさ
0 件のコメント:
コメントを投稿