2009年12月17日木曜日

厩橋界隈


隅田川を初めて見たのは、私がまだ24、5歳の頃です。世田谷で育ちましたのでいつも私の行動範囲は渋谷、新宿、御茶ノ水でした。御茶ノ水は文化学院、アテネフランスに通っていましたから。O君は文化学院の美術科で知り合った10歳年下の夜間部の学生です。絵の話に共通の話題があり、すぐ親しくなりましたね。彼は50歳過ぎですでに亡くなりました。彼のいつも照れたような笑いが印象的で、あの顔が忘れられません。あの頃の彼は家が厩橋にあり、ライオン歯磨工場があるそばだと聞いたので、一度隅田川に連れて行ってくれと、厩橋で待ち合わせることにしました。さて、世田谷からどうやってそこまでいっていいのやら、私の方向音痴の頭の中には都電の路線が混線しています。彼が言うには、まず、御徒町にでて、都電で一直線なので、それが一番分かりやすい交通手段だと言うのですが、渋谷から御徒町、厩橋へとどう乗り継いでいくのか、心細い限りでした。今となっては、どうやって厩橋まで行けたのか分かりません。携帯もない時代、待ち合わせはどうしたのか、O君が待ち合わせた時間に橋の袂で待っていてくれたのか、何はともあれ、二人は隅田川の土手の草原で、ひっくり返ることが出来ました。当時の川の水は汚水が流れ込み、どす黒くにごり、悪臭が漂っていました。それでも、私たちにはあの戦後の暗い生活に、この隅田川の雰囲気は現代絵画に通じる共感がありましたね。隅田川界隈には粋スジの土地名があり、「葭町」「柳橋花柳界」「大川端」などと、歌謡によく取り上げられる場所ですね。今は私の毎日の散歩道で、隅田川テラスと言い、土手という感じはまったくありません。食事処、ジョギング道、散歩道になっています。

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