「誰もいない裏窓」
薔薇が活けられ
今日もあの人を待つ
暗い部屋
娘がまだ小学校の頃、明石町、隅田川界隈にはまだ外国人居留地の名残がありましたね。
その草っぱらには四季折々の草花が乱れ咲き、夏などは子供でなくとも、私達大人でも、中に入り込んでトンボ、蝶を追いかけ回したくなる一角でした。周りを柵と有刺鉄線で覆われ、覗き見するくらいなのだけれど。
入口の扉が黒く、壁際にランプが有るのですが明かりが灯るのを見たことが有りません。其処に行くのは怖いのですが、そのノブを回したいのです。つい、私は低い声で囁いてしまうのでした。
「ほうら、ドラキュラが出るぞお。」
娘はむきになって怒りました。
「止めて、パパ!」
家に帰り、私はお婆ちゃんに怒られるのです。
「子供を怖がらせるものではありません。」
ほんとによくお婆ちゃんからは、怒られたもんですね。
そんな時期も、時は知らぬ顔で過ぎていきます。娘の大学時代、店の常連さん二人、何時ものメンバーで家族旅行に伊豆下田方面に出かけた時、娘はホテルで高熱をだしました。一晩氷で体を冷やし、次の日は予定とおり早々にホテルをでました。
正月の連休、なにはともあれ東京に戻ること、病院は明石町セントルーカ病院まで帰りたい。下田まで戻れば新幹線で。娘はぐったりで口も開けませんでした。
やっと指定席を見つけ、車内は立ってる人で身動き出来ない状態の中を寝かしつけるように、座らせて東京一目散。聖路加病院救急部に担ぎこみました。原因不明の高熱は一向にさがりません。私はその日一晩娘の脇に座り娘の不安な気持ちと戦ってやりました。
次の日、娘は入院することになったと、聞かされました。病院西側の新館病棟です。今、十数年前のことを思い出し、その病棟の窓を見上げ、通りを挟んだ小児科病棟の芝生の敷石を踏み、あのドラキュラの家が其処に移されて、記念指定の館だと知りました。セントルーカと縁の深い宣教師、医師でもあった人物。あの館は迎賓館でも有ったそうです。 昭和十八年頃。
ほんとうよ!やめてね!本当に怖かったのだから!
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