2010年1月26日火曜日

南高橋 みなみたかばし なみだばし?




 開店当時、こんなご挨拶を送りました。
 「東京の街にも、まだ下町情緒を残した一角が残っております。
 隅田川のポンポン蒸気の音が聞こえて来るような路地裏に、小さな店。
 どの方角からきても、ああ、こんな橋が在ったかと、郷愁を誘うのでは。」

 今、川は暗渠となり、橋も撤去され、そんな橋何処にあったの?仲の橋、入船橋、稲荷橋、采女橋、万年橋、きりがありませんね。中央区首都高の下は川でしたものね。築地河岸だけでなく、浅利河岸が京橋のところにあった表示もあります。

 よく、ぼんやり歩いていると、尋ねられるのですが、橋の名前などは、困った事もありました。其の人が「たかばし」はどっちの方でしょう?たかばしとだけ云われても、三か所あります。深川にも、新川にも。越前堀の橋、新川は南高橋です。尋ねられた場所が何処を選んでもその丁度中間地点でしたからなのです。そんな話も昔話ですよ。

 でも、橋には何時になっても因縁話みたいなものが残るものですね。南高橋(みなみたかばし)を構築した時の話を、私の家内から、聞きました。
 この橋梁は、両国橋を解体した時、中央区でその部品を払い下げを引き取とったと。この「み/なみた/かばし」雨などで曇る夕暮れ時、石の標識はこんな風に読めるのです。「なみだ橋!」
 
 家内とこの橋は頻繁に渡ります。ある日、湊町から新川方面へとこの橋の左側の袂に差しかかった夕暮れ時、彼女が私の歩くのを止め右側の橋の袂を指さします。
 「見えるでしょう、後ろ向きに川を見下ろしてる女の人!」
私は誰か知てる人かと、見るのですが、見えません。車も少ない日曜日なので、で、反対側に渡り前方に目を遣りますが誰もいません。彼女が傍にきて
 「今、見たでしょう!」
いや、何も・・・
 こんな話は息子と家内との間では、平気でやり取りが通じるのです。二人にはよく見えるらしく、
「今日何処かで、葬式がない? 角に居たでしょう。」
「見えた!見たよ。」
 二人には何か見えるのです。でも、南高橋は袂の橋桁から右側の川を覗いても亀島川の水門だけしか見られませんよ。

 水門は亀島川と隅田川を繋ぐ地点にある川、湊町、鉄砲洲た新川を繋ぐ、両国橋を解体した機材を下取りして出来たトラス橋です。因縁はどうも前の両国橋にさかのぼるようにも?とふと思ってしまいました。

 南高橋で知ってる限りそこからの身投げ話など聞かされたことはありません。でも、このひらがなの橋表示には、確かに「なみだ はし」と読めますね!

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